Walkmanのおはなし
ブログの内容の5割くらいが音楽になってしまっているこばとんですが、自宅待機している起きている時間の5割くらい音楽を聴いているので、それを綺麗に比例していると考えればそう不思議ではないのかもしれません。ブログを書いている今この瞬間も音楽を聴いているし。
さて、みなさんはどのような方法で音楽を聴いているでしょうか。最近はいろいろと選択肢が増えてきましたが、私は何らかの方法で音源を購入してWalkmanで聴くのが基本です。Apple Musicも契約していますがスマートフォンで音楽を聴くことはほとんどありません。
なんで、って聞かれると正直困るのですが、Walkmanを使っている理由は「音楽専用端末を持っていればどんなことをしていてもながら聴きできるから」というのが大きいかもしれません。Twitterをしている時もゲームをしているときも作業をしている時も音楽を聴いているので、スマホを使って音楽を聴くとなにかと制約を受けてしまいます。生活のなかで比重の大きい音楽だけ専用端末を持っていたほうが、何かと便利なんですよね。
Walkmanの方が音質が良い、というのもあるかもしれませんが、私はそこまで音質に強いこだわりはありません。むしろノイズキャンセリング機能の方が私にとっては大切かもしれません。実は、私は耳鼻咽喉科の先生を驚愕させるほど耳が良いんですよね。そのため、あまり大きい音を聴くのが好きではありません。常に小さ目の音量で音楽を聴いているのですが、これだと騒音の大きい電車内ではかなり音楽を聴きづらくなってしまいます。ノイズキャンセリングがあれば騒音を打ち消したうえでそこまで音量を大きくしなくても音楽が聴けるので、これは手放せません。というかiPhoneに標準装備してるイヤホンで車内で音楽を聴いてる人ってどんだけ音量を大きくしてんの?まあ圧迫しないあの装着感はいいけどね。
さて、私とWalkmanの歴史は10年に迫りますが、今使っているWalkmanはもう5代目です。実は私は物持ちのいい方で、そこまでガジェットを更新しているわけでもないのですが、Walkmanだけは「しょっちゅう」変えています。まあ理由はそれぞれあるんですよ。それも含めて、Walkmanたちとの思い出を振り返っていきたいと思います。
1代目 2013~2014 E080
それまでCDウォークマンを使っていた私にとって初めてのWalkmanは一番安いEシリーズでした。まあそんなにお金があったわけでもないしね。メモリーは4GB。当時は音楽を気軽に持ち運べるようになっただけで自分にとっては画期的だったのですが、すぐにこの小容量は不満となってくることになりました。といっても、当時フィーチャーフォンすら持っていなかった自分にとって通学中に音楽が聴けるようになったことは革命的で、「自分だけの音楽の時間」を持つことは私に「音楽的自立」をもたらしました。それまでは私の音楽的世界の90%は嵐によって形成されていたわけですが、初代Walkmanの購入によってスキマスイッチ、ももいろクローバーZといったアーティストと出会います。その後の私の音楽世界の爆発的拡大を導いたという意味で思い出深い端末です。
2代目 2014-2016 F880
不足する容量に対する不満から、にわかにWalkmanの買い替えが浮上します。先述したようにお金のない学生なのでそうしょっちゅう買い替えというわけにはいかないのですが、当時は一気にスマートフォンが学生にも普及しだした時で、ケータイを全く持っていないにせよなんらかのAndroid、あるいはiOS搭載端末を手に入れる必要性を強く感じていた頃でした。そこで思い切って購入したのが二代目、Fシリーズです。
スマートフォンが完全に浸透した今、Fシリーズは無くなってしまったのですが、私としては最も気に入っている機種です。最大の魅力はやはりAndroidを搭載していること。他のWalkmanがソニー独自のOSで動いているのに対し、スマートフォンのプラットフォームであるAndroidを搭載しているこいつは圧倒的に操作性で勝ります。画面が大きいことも高評価。とにかく操作性だけで見ればトップクラス。だってさ、Walkmanを使ったことがある人ならわかると思うんだけど、Androidのキーボードを使って曲を検索できるんだよ?最高でしょ。こら、スマホでいいでしょなんて言わない!
タッチパネル式の最大の利点は、シークバー(音楽の再生箇所を示す棒)を縦横無尽に操作できるところ。一節だけ繰り返し聴きたいときに曲を飛ばすボタンを長押ししてジワジワ戻るのはあまりにまどろっこしいからね。
ちなみに最大の弱点は、電池持ちの悪さ。Androidって電池を食うんだわ。あとは、microSD端子などが無く、拡張性が無いことですかね。ちなみに本体メモリが非常にすくなく、限られたアプリしか運用できませんでした。
この2代目の時にラブライブ!と出会いました。裏面には神田明神で買えた凛ちゃんの蒔絵シールが貼ってあります。大学受験を一緒に乗り切ったのもこいつ。当時お茶の水の塾に通っていて、塾通いのついでに神田明神に100回以上参拝して合格祈願をして。第一志望には落ちましたが、それでも2つ大学に受かることができました。それに、院試のときもお世話になりました。本当に神田明神には感謝してもしきれません。これからも機会があれば何度もお参りさせていただきます。
センター試験も各本試も一緒だったこの端末ですが、高校3年の春休みも終わろうという時に突如電源が入らなくなりました。その後2年後に突如復活するまで、すっかり黙ってしまった2代目。悲しい代替わりを迎えます。
3代目 2016-2018 A20
大学に入学してiPhoneも持ちましたし、Fシリーズもなくなっていたので、選ばれたのがAシリーズ。Aシリーズは正方形を斜めに設置したボタンが印象的ですね。ハイレゾにも対応しているし機能的には十分な本機種ですが、個人的満足感はあまり強くありませんでした。やっぱタッチパネルのが使いやすいんだよね。物理ボタンがあると確かに見なくても感覚だけで操作できたりするし、シンプルだからきびきび動くんだけどね。あ、電池持ちが良いのも魅力です。
ちなみにmicroSDスロットのお陰で容量をかなり増やせるので、このあたりから持っている楽曲の数がうなぎのぼりに増えていきました。今では3000曲以上入っていますが、最初は4GBから始まったことを考えれば、自分の音楽の世界がどれだけ広がったかということを強く実感します。
大きな不調があったわけでは無いのですが、やはりタッチパネルの操作感の方が好みなので、結局買い替えに踏み切ります。そういう意味では一番愛着の薄い機種かもしれない。ちなみに今でも緊急用のサブとしての役割を担っています。これからもお世話になります。
4代目 2018- A30
ということで、タッチパネルになった新しいAシリーズを購入しました。ちなみに今現在もこいつを使っています。
確かにタッチパネルで操作できるのはとっても良いのですが、実は不満も多い機種です。まずソニーさん独自OSが圧倒的に使いづらい。動きがもっさりしてるし、落ちることもしばしば。Bluetoothの安定性が低いなど、細かいところを挙げればきりがないのですが、まあなんだかんだ愛着をもって使っている.......と思います。地味な利点は、端末側での曲の管理がしやすいこと。端末側で曲を削除したり、プレイリストを編集できるのは大きい魅力。あとブックマークも使いやすいよね。「こばとんのお気に入り100曲」ブックマークが始まったのもこの機種になってから。いろんな曲を聴くようになって、アルバムを行ったり来たりするよりぱっとプレイリストを再生できる方が便利になってきたのですが、そういう需要にはしっかりフィットしています。
こいつになってからの最大の変化は、Bluetoothを使うことが圧倒的に増えたこと。ワイヤレスイヤホンにワイヤレススピーカーを購入し、イヤホンを挿すことの方が少なくなってしまいました。ワイヤレススピーカーはマジで素晴らしいよね。ほんと音楽を聴きやすくなるので、みんなもぜひ買ってくれや。
さて、これまでのWalkman自分史を振り返ってきました。
SONYさんが先日最新機種のA100を発表したのですが、これがまたね、購入するか長い間私を悩ませています。特徴はサイズは変わらずにAndroidを搭載したこと。店頭でさわった限りは操作性は今よりはよさそうです。あとはストリーミングに対応しているのもいいよね。買ったら買ったでいろいろ使い方が広がりそうなんだよなあ。ワイヤレスイヤホン・スピーカーの操作アプリもWalkman側に入れられるのも良い。
ただ、未だに購入を躊躇しているんですよね......。一つは、やっぱり電池持ちが悪いらしいところ。まあしょうがないけどね。あとはねえ、画面が大きくなってくれないかなあ、という気持ちがあるんだよね。最近のスマホほど大きくなくてもいいけどさ、もうちっと大きくなってくれないかなあ。やっぱりタッチ操作なら画面が大きいに越したことはないんだよね。ジャケットも大きく見たいし。昔のiPhoneSEくらいのサイズ感でAndroid搭載Walkmanを作ってくれませんかね。バッテリーの容量も増やしてさ、ちょっとくらい大きくてもいいから。どうでしょうSONYさん。検討お願いいたします。そういうの出たら買うから、多分。
なんだかとってもとりとめのない話でしたが、Walkmanと一緒に、私も成長して、音楽の世界を拡げて、たくさんの思い出を残してきたことを実感しました。音楽はいつも私の人生とともに移り変わり、変化し成長して、常に鮮やかに彩ってきました。ずらっと並んだ思い出のWalkmanたちを眺めながら、これまでの思い出を走馬灯のように思い出すとともに、これからもWalkmanと一緒に、音楽とともに新しい思い出を刻んでいきたいと思うのでした。
それではまた
こばとん
こばとんのプレイリスト 2020年7月
7月が始まりました。
7月は梅雨が明けて夏の気配がどんどん強まっていく季節ですね。本シリーズでは、月に1回、そんな7月に私が聴きたい曲を3日に1曲、1か月で(約)10曲ご紹介していきたいと思います。
さらに、7月のプレイリストとして、iTunesにて作成したプレイリストを共有したいと思います。なお、サブスクに無い曲はプレイリストに入っていません。
ちなみにコンセプトは「爽やかな初夏」。熱い夏を楽しむより、涼しく過ごすことができるような7月にしたいと思って選曲しました。
セットリストは以下の通りです。
M1 7/1~7/3 ラムネ色 青春
M2 7/4~7/6 Bon Bon Voyage!
M3 7/7~7/9 君の知らない物語
M4 7/10~7/12 rainy day
M5 7/13~7/15 Crosswalk
M6 7/16~7/18 不埒なCANVAS
M7 7/19~7/21 月曜日のクリームソーダ
M8 7/22~7/24 アイスクリーム・シンドローム
M9 7/25~7/27 サマ☆トリ~Summer trip~
M10 7/28~7/30 無敵級*ビリーバー
M11 7/31 夏の名前
サブスクで利用できる曲に関しては、iTunesにてセットリストを共有します。以下をご参照ください。アイドルマスター関連楽曲、未発売の『無敵級*ビリーバー』は抜けています。正直、だいぶ歯抜けな感じですが.......。できる限り記事に試聴動画もくっつけたので、悪しからず。
— こばとん (@kobaton825) 2020年7月1日
それでは、さっそくいってみましょう!
M1 7/1~7/3 ラムネ色 青春/765PRO ALLSTARS
アイマス劇場版の挿入歌だった『ラムネ色 青春』。合宿のシーンで流れるこの曲は、夏らしい明るさと、題名通りのラムネのような爽やかさをもちあわせた曲ですね。実は作曲はかの田中秀和さん。
『ラムネ色 青春』っていう題名からいいよね。ラムネ色と聴いた瞬間に、淡いブルーがさっと頭の中に広がります。はじける炭酸の爽やかさは、夏の暑さがあってこそ。今では瓶ラムネを飲める機会も少しづつ減っている気がしますが、今年の夏もとびきり晴れ渡った空の下で、瓶の口に挟まったビー玉を落とし込んでラムネを飲めるような機会があったらいいな。
「弾けろ! 青い風」。夏への期待感を高めてくれる一曲です。
あ、これは宣伝ですが、現在3周年のミリシタでは、この曲を無料ダウンロードできます。こちらは宮尾美也・天空橋朋花・徳川まつりの3人による歌唱。さわやかでかわいい水玉模様の衣装を着た3人も実装。しかも!今は10連無料期間で、ガチャで彼女たちを手に入れやすくなっています!ぜひ、ミリシタをダウンロード・あるいはログインしてくださいませ。以上、宣伝のコーナーでした~。あ、ミリシタのライブ動画を貼り付けておきまーす。
「アイドルマスター ミリオンライブ! シアターデイズ」ゲーム内楽曲『ラムネ色 青春』MV
M2 7/4~7/6 Bon Bon Voyage!/りさ/みほfrom AIKATSU☆STARS!
2曲目はアイカツスターズ!より、ED曲の『Bon Bon Voyage!』。こちらも爽やかなメロディーに乗せて、旅の始まりを歌います。「Bon voyage」はフランス語で「良い旅を!」という意味。voyageは輸入された英語では特に船旅を表す言葉。そのとおり、この曲も船旅をイメージした歌詞が印象的です。
「空と海が重なる そのブルー切り開いて風切って」っていう歌詞がいいですね。船が進んでいくのを「ブルーを切り開く」って表現するのが好きすぎる。未来への希望があふれる、一面の海を前にして聴きたい一曲です。
M3 7/7~7/9 君の知らない物語/supercell
全天文系部活・サークルはこの曲をカラオケの十八番にしてるのではあるまいか?アニソンの範囲を超えて人口に膾炙している曲ですね。
7月7日は七夕です。ご存じの通り、織姫星はこと座のベガ、彦星はわし座のアルタイルを指します。間に天の川を挟んで対峙するこの二つの星は、同時にはくちょう座のデネブと3つで夏の大三角を形成しています。
「あれがデネブ、アルタイル、ベガ」というあまりに有名な歌詞は、実は2番の歌詞。一番や2番サビ以降の歌詞をあわせると、なんだか『化物語』のストーリーとはちょっと違って感じられるような気がしますが、その分、普遍性の高い歌詞にもなっているのかなあ、と思います。
天の川は見えなくとも、夏の大三角なら都内でも眺めることができます。七夕の夜、もし晴れたなら、夜空を見上げてみてはいかがでしょうか(プラネタリウムの解説の締めみたいになった)。
M4 7/10~7/12 rainy day/ClariS
今年の梅雨はいつ頃開けるのでしょうか。梅雨が明けるとじめじめした雨の空気とはお別れできますが、うんと熱いムッとした熱気を太平洋高気圧が持ってくることになります。7月はそんな季節のはざまのような時期。雲一つ無い青空が恋しいようで、雨の日々が過ぎていくのが惜しい気もしますよね。
『rainy day』は、夏の雨の日を歌った曲。ClariSの透き通るような声と、ミリマスでおなじみのKOHさんのピュアな歌詞と曲調がマッチして癖になります。ちょっと南国っぽさもあるサウンドが、「夏の雨の日」のイメージを強くします。あと、サビの裏声が不思議な気持ちよさがありますよね。
曲と同じくらい綺麗なのが歌詞です。わたしは乙女チックで詩的なKOHさんの書く歌詞が大好きです。この曲で好きなのは、好きな人との時間を「雨が降り止まない」ことを祈ることで引き延ばそうとしているところ。「今だけはドラマのような二人」って歌詞もいいなあ。『dear...』や『プリムラ』が好きな人なら絶対好きになってくれると思う。雨の日が楽しくなる、そんな一曲です。
M5 7/13~7/15 Crosswalk/鈴木みのり
鈴木みのり『Crosswalk』Music Video(2chorus.ver)_TVアニメ「あまんちゅ!~あどばんす~」オープニングテーマ
TVアニメ「あまんちゅ!」の主題歌だった『Crosswalk』。この曲の魅力は何といっても鈴木みのりさんの声でしょう。マクロスΔのフレイヤ役のイメージが強い彼女ですが、初めて聴いたとき、「こんな声がだせるのか!」といたく驚いた記憶があります。
もうね、とにかく声が良い。何時聴いてもなんの抵抗感もなくすっと直接、心に沁みわたってくるような、そんな声。結構曲って精神状態や体調によって聴きたい曲が変わってくることも多いのですが、この曲はその綺麗な歌声と綺麗なメロディーラインで、いつ聴いても耳障りでない。そんな一曲です。
PVは夏の伊豆、伊豆急行線富戸駅付近で撮影されたものですが、これがまた曲のイメージとしっかり合ってるんですよね。私は夏の伊豆が大好きなので、この曲を聴くといつも夏の伊豆を訪れた気分になっています。
M6 7/16~7/18 不埒なCANVAS/輿水幸子・塩見周子・相葉夕美
【アイドルマスター】「不埒なCANVAS」(歌:輿水幸子、塩見周子、相葉夕美)
季節感の強い曲をずらっと並べてきましたが、ここでどちらかといえば曲のイメージで選んだ曲を一曲。
『不埒なCANVAS』は、輿水幸子、塩見周子、相葉夕美の3人による曲。烏屋茶房さんのお洒落で爽やかな曲調はかつて多くのプロデューサーたちに衝撃を与えた『O-Ku-Ri-Mo-No Sunday!』と通底するものがあると思います。あとね、ギターソロがひたすらにカッコいいわ。
只野菜摘さんによる歌詞は男性目線で恋心を描くもの。「一回くらいの告白で 世界が塗り替わるとは思わないけど 始めなくちゃ」ってとこが良いよね。告白するくらいじゃあ世界が塗り替わるわけじゃない、大したことない、と思い込もうとしているけど、なかなか告白できない。いままでの自分を真剣に変えていきたいと思っているけど、「なにか変えていきたい」だけで具体像は見えていない。優柔不断な男の恋心を見事に描いていると思います。
M7 7/19~7/21 月曜日のクリームソーダ/Jelly PoP Beans
「アイドルマスター ミリオンライブ! シアターデイズ」ゲーム内楽曲『月曜日のクリームソーダ』MV
週の始まり、憂鬱な月曜日をポップに明るく変えてくれるのは周防桃子・舞浜歩・ロコ・永吉昴のユニットJelly PoP Beansによる『月曜日のクリームソーダ』。
アメリカンなポップミュージックに乗せて、背伸びしたい女の子のキュートな歌詞が歌われるこの曲。とにかくかわいい。週末のお出かけを考える気持ちは、憂鬱な月曜日をはるかに上回ってるとこも好きです。
あとはね、やっぱクリームソーダを飲みたくなるんだわ、聴いてると。いや、なんなら聴いてなくても飲みたくなる瞬間ってありません?メロンソーダにバニラアイスがたっぷり乗ったクリームソーダを。あれ、魔法の組み合わせだよね。オトナになっても童心に帰りたくなる時はあるものです。それか、ほろよいのメロンソーダにバニラアイスをぶちこむ「オトナのメロンソーダ」を今年も作ろうかしら。オトナにはオトナの楽しみがあるもんね。
今年は延期になってしまったオリンピックのお陰(?)で、この週末は23日から26日まで、長い長い4連休です。水曜日まで頑張ればもう週末だと考えれば、一段と頑張れるはず。残った心配はそう、「週末の天気が問題」なのです!
M8 7/22~7/24 アイスクリーム・シンドローム/スキマスイッチ
スキマスイッチ / アイスクリーム シンドローム:SUKIMASWITCH / ICECREAM SYNDROME
そろそろ7月も終わりに近づき、すっかり暑くなってくる頃ですね。そこで、前の『月曜日のクリームソーダ』から「アイスクリームつながり」でこの曲、スキマスイッチで『アイスクリーム・シンドローム』。
あっという間に溶けていくアイスクリームを、タイミングを逃せば待ってくれない恋の運命に例えた曲。幼馴染との進展しないもどかしい恋がとっても切ない曲です。「いつかは誰かと消えていってしまう」っていう歌詞の焦燥感がいいなあ。
「ファインダー越し」に遠くに感じる君を見ているという世界観もとっても好きなのですが、一番は「幸せは増えたって減るもんじゃない」というところ。「脳内に蓄積した知識は、それだけは絶対に自分のものだ。誰にも奪われるものではない」という箴言を頂いたことがあるのですが、そういう感じでしょうか。ネガティブなことがあったら減るような気もするけどね。私も幸せを増やしていきたいものです。
あとね、とっても歌うのが難しいです。安易にカラオケで歌おうとすると声が死んでしまうので、そこだけは気を付けて。
M9 7/25~7/27 サマ☆トリ~Summer trip~/北上麗花
梅雨が明けて夏の期待感が高まってきたら、夏を思いっきり楽しむモードへと移行しましょう!そこでこの曲『サマ☆トリ~Summer trip~』。
夏の疾走感あふれるメロディーも素晴らしいながら、なんといっても見どころはこの歌唱力!平山笑美さん、本当に魅力的な声の持ち主ですよね......。自分もこんな声があれば気持ちよく歌が歌えるだろうなあ、としみじみさせられるくらいいい声です。そりゃあクラウドファンディングであれだけの大金を集められますわ。ちなみに私も平山笑美さんのアルバムを購入した一人でもあります。
「北上麗花」としての声も魅力的なところ。独特な発音はクセになります。本当に聴き入っちゃうなあ。夏の高揚感がそのまま声と音に凝縮されていて、今にも海へと山へと飛び出したくなるような曲です。油断してたら夏に乗り遅れちゃうぞ!
M10 7/28~7/30 無敵級*ビリーバー/中須かすみ
【試聴動画】無敵級*ビリーバー / 中須かすみ(CV.相良茉優)
とにかく待ちきれない7月29日は、『無敵級*ビリーバー』の発売日です。つまりフラゲができるのは前日の7月28日。詳細については既にブログに書きましたので、そちらの記事を貼っておきますね。
投票の結果1位を勝ち取った中須かすみによる表題ソロ曲となるこの曲ですが、きっと夏にもピッタリの曲になるはずです。かすみちゃんの黄色のせいもあるのか、シトラスのような爽やかさのあるこの曲。購入したらすぐに、鬼リピに入ること間違いなし!皆さんも暑い夏のお供に『無敵級*ビリーバー』を購入してくださいね!
M11 7/31 夏の名前/嵐
ピアノの綺麗なイントロとともに入るこの曲は、嵐のファンの中では有名なアルバム収録曲。井上陽水『少年時代』を彷彿とさせるようなメロディーで歌われるのは、甘酸っぱく悲しい失恋です。
一番の入り、それから大サビ前の大野くんのソロが本当に好きです。なんでこんなにいい声してるんだろうね。顔もいいし声もいい。天は二物を与えたのか......。
「夏の名前」を決めるというのが良いよね。ちょっとサビの歌詞とかは恥ずかしくなるくらい純情ですが。いいなあ、二人で夏の名前を決めるカップル。自分がなりたいかはわからんけど。櫻井くんのRap詞も、この曲の「いい意味での青臭さ」をより増幅させていて、すごく完成度の高い曲になっていると思います。
皆さんはどんな「夏の名前」をつける夏にしたいですか?こっそり教えてくださいね。
それではまた、このコーナーは来月にお会いしましょう。皆さんの7月が、素敵な曲に囲まれて、楽しく充実したものになりますように。
こばとん
2020年上半期のおはなし
こんばんは。こばとんです。
昨日6月30日はAqours5周年の日でした。自分の「Aqours5年史」を振り返ってもいいかなあと思ったのですが、書くからにはきちんと書きたいなあ、と思っているうちにまとまらず。また次の機会にしましょう。
2020年も上半期が終わりましたね。もう終わったの早すぎない?ほんとうに内容が皆無なんだが。みなさんはどうでしょうか。
一応上半期が終わったということで、私自身の上半期を総括したいと思います。とりとめのない文章になるかもしれませんが、まあ自分なりのけじめって感じなのであしからず。
とにかく2020年の上半期は新型コロナウイルスに振り回されっぱなしの6か月間でしたね......。皆さんもきっとそうでしょう。
まずは新年に書いた抱負を振り返ります。これでしたね。
ええと......。とりあえず、毎日更新はできてないですね。1月当時は「質より量」でとにかく習慣づけることが重要かな、って思っていたんですが、量はできるかもしれんけど質がゼロになっちゃうんだよね。今は「一定の質、できる限りの量」が目標。月間10~15くらい記事を挙げることができたらいいな、と思っています(6月になってようやく10に到達しました.....)。
まだコロナウイルスが風の噂だった1月。といっても、まだ大学の授業があったので、そこまでのアクティビティーはありませんでした。
1月最大の思い出は「ラブライブ!フェス」ですかね。いま考えればよく開催できたよね。こればっかりは延期になったら無くなってしまいそうなライブだったので、とにかく参戦できてよかった。ちなみにこちらはかなり熱が入ったブログを書きました。
1月はほかに、実は大洗まで聖地巡礼に行っているのですが、これはまだ記事としてお披露目に至っていません。実はあんまり時間がなくてイマイチ回れなかったんだよね。ガルパンおじさんで大洗に行きたい人がいたら今度行きましょう。ドライブついでとかでいいからさ。
コロナウイルスの話題が少しづつ増えつつあった2月。卒業旅行としてヨーロッパ旅行を計画しました。期待感あふれるブログを書いて、この記事は私のブログの中でも結構上位に来るくらい読んでもらえたのですが、ヨーロッパ旅行記をあげることは叶いませんでした。2月後半から3月前半にかけて、事態はどんどんと悪化していったからです。
日々刻々と変化する状況、周囲のそれぞれの意見、渦巻く世論、そんな混乱のなかで、結局は旅行中止の決断を下さざるを得ませんでした。出発前日に行った苦渋の決断でしたが、今では正しかったと思っています。一番の理由は、本来の旅行期間にヨーロッパで感染が急拡大したこと。そして、4月以降のパンデミックが欧米から持ち込まれたウイルスによって起こったことです。もし旅行を決行していたら、私自身がパンデミックの一因になっていたかもしれない。私は「自分がかかるだけなら自業自得。周りには関係ない」といった無責任な蛮勇は持ち合わせていませんので、行かなかったという決断は100%正解であったと考えています。
まあ、キャンセルしたらキャンセルしたで、その後も地獄でした。当時は同じようにキャンセルを望む旅行者が多く、つながらない電話を延々とかけ続け、どうにかキャンセルしてもらう、といった有様。多くの企業・ホテルのご厚意により旅行代金の大半は回収できましたが、6万5千円の借金を背負い、その足でバイトに向かったのでした。
が、借金を少しでも取り戻そうと戻ったバイトでも地獄が待ち受けているとは、さすがに想像もしていませんでした。日に日に高まるコロナウイルスの不安は、ついに日本国内での感染者急増を導きました。私の住む埼玉県所沢市では多数の院内クラスタ―が発生、市内感染者は100人を超し、日々感染の恐怖と戦いながら働くこととなったのです。これにはまいりました。
高い危機感の中で、私は4月以降ほぼすべての外出をあきらめざるを得ませんでした。まあそうでしょ。労働時間に感染してしまったならそれはもう致し方ありませんが、それ以外でかかってしまうわけにはいきません。最悪の場合店がつぶれるからね。特に近隣スーパーの従業員に感染が出だした時の恐怖感はこれ以上ないほどでしたね。
混乱と恐怖と疲労の3月は、ブログの更新どころではありませんでしたが、延期された大学院の授業開始が5月中旬に決まった4月からは、少しづつ書けるようになってきました。
読書日記シリーズは、本を読まないとなかなか書けないからねえ。いまはちょっと余裕がないから、夏休みに入ったらいくらか書こうかなあ、と思っています。積読はいっぱいあるのよ。なかなか読めないんだけどね。
藤井聡太七段の躍進と合わせてこの記事が書けたのはよかったかな。『りゅうおうのおしごと!』は実は昨年秋にハマったのですが、構想はあってもなかなかいい文章にならなかったのよね。時期も大事だと痛感した記事です。
上半期に一番読んでもらえた記事はこれ。「アイドル愛」をとにかく書きまくりました。こんな鄙びたブログの記事を見つけてくれて読んでくれるエビ中ファンの熱意に脱帽です。嵐とAqoursの同様の記事は下半期に上げますね。
ほとんど引きこもりみたいな毎日は、とにかくラブライブ!に慰めてもらうことが多かったと思います。結果、上半期はラブライブ!関連の記事が一番多くなりましたね。発表や発売のタイミングに記事を書くのはとってもいい感じなので、今後も継続すると思います。タイミングよく記事を挙げればみんな読んでくれるし、読んでくれたらそれだけモチベになるし。とにかく早く発売日になってくれ、待ちきれんのだー。
本職(?)である歴史の記事はなかなか書けなかったんですけど、しっかり構想を練って6月末にようやく上げることができました。まあ歴史は好きなんでね。もっともっと歴史系の記事は増やしたいなあと思っています。最大の問題はなかなか旅行に行けないこと。歴史系も旅行系記事も、できれば現地にいってそのインスピレーションで書きたいんだけどねえ。こればかりはコロナの動向を見守るしかありませんな。
長~くなりましたが総括はこんなところでしょうか。少なくとも自分の二十数年の人生の中ではかなり異色の半年になりましたが、このブログを安定して書けるようになったのも一つの大きな収穫かもしれませんね。
下半期の目標は.....。うーん、といっても、依然先は不透明なんですよね。とりあえず「一か月に10記事」を継続していきたいと思います。夏休みは時間をたっぷり使って勉強以外にもいろいろチャレンジしたいことがあるので、それについて書けたら最高、かな。
それでは2020年下半期も、こばとんと当ブログをよろしくおねがいいたします。元気に楽しく健康に過ごしましょう。
それではまた。
こばとん
こばとんの歴史探訪①秋田県・角館
旅を楽しくさせる方法はたくさんあると思うが、歴史というのはその有力な一候補となり得る。歴史とはつまりストーリーなので、ただの景色さえも、歴史を通してみればそこに物語が生まれる。それがまた景色に深みを出させ、鮮やかに彩る。このシリーズでは「歴史と一緒に旅行する」ことで出会ったいろいろなストーリーを取り上げ、歴史の楽しさをお届けしたい。
冬の東北の日没は早い。角館についたのは、もうすっかり日が傾き、街が暗闇に飲まれていこうとする時間になってからだった。
角館は、「みちのくの小京都」と称され、江戸時代の姿を残す武家屋敷で知られる。薄暗くなってもその風格と気品は十分に漂わせていた。
きっともう撤収の時間であって、いまからお邪魔すれば迷惑をかけてしまうかもしれないと少し心を痛めつつ、今にも閉めようとしているように見える武家屋敷の一つに滑り込む。せっかくはるばる角館まで来たのだ。武家屋敷の一つくらいはせめて見たい。
おじいさんがこちらの様子をみて「どうぞ」と言ってくれる。もう電気も消そうとしているようだったが、「これ囲炉裏なんだけどね、今では文化財の家が燃えちゃいけないから電気なんだよ」といいながら囲炉裏の火をイメージした赤い電球をつけてくれる。それから、「武士は今で言う公務員だからね、大変なんだよ」といいながら、思ったよりも遥かに質素な武家屋敷のなかを丁寧に紹介してくれる。平日に東京から来た学生は珍客だということもあったかもしれないが、嫌な顔一つせず丁寧に説明してくれるおじいさんに角館の人々のあたたかい人柄を垣間見た気がした。(一番印象に残ったのは自在鉤の使い方だった。あれほどよくできたものだとは知らなかった)。
さて、ここは「岩橋家」の武家屋敷である。岩橋家とはどんな武家だったのか。
説明板にはこうある。「岩橋氏は、南奥州の名門会津黒川城主芦名氏の重臣であった。天正17年(1589年)芦名氏が伊達政宗に敗れ、兄である常陸の佐竹氏を頼り常州へ移り、江戸崎において秀吉から四万三千石を与えられると、岩橋氏も芦名氏に随従して江戸崎に移った。
関ケ原の戦い後、慶長7年(1602年)佐竹氏の出羽移封とともに芦名氏も出羽に下り角館一万五千いしを与えられた。岩橋氏は一時江戸崎を立ち退き津軽氏に三百石で仕官していたが、主君の角館居住とともに再び芦名氏に帰参し角館に居住した。
芦名氏が承応2年(1653年)三代にして断絶するに及んで、代わって角館所預となった佐竹北家の組下として(八十六石)、廃藩に至るまで仕えた」。
ちょっと歴史に詳しい人なら、今の秋田県がかつて佐竹氏の所領であったことは知っているであろう。あるいは、今の秋田県知事は藩主佐竹氏の末裔であることでも知られているから、このことを知っている人はもっと多いかもしれない。
佐竹氏はもとからここ秋田にいたわけではない。説明文にある通り、常陸=現在の茨城県から「移封」してきた。1600年の関ケ原の戦いに勝利して天下を統一した徳川家康であるが、それはまさに「武」をもって日本全国に乱立した戦国大名を従わせてきたということであった。言い換えれば、いつ裏切るか分からない地元に根差した大名たちを大量に抱えているわけであって、これではもし彼らの反感を買えば幕府が倒されるのも時間の問題となってしまう。そこで、幕府は各外様大名の力を削ぐために、さまざまな理由をもって従った大名たちを影響をもつそれぞれの地元から引きはがして、「転勤」を命じた。江戸から近い常陸に強い影響力をもつ佐竹氏も、こうしてはるばる秋田まで飛ばされてきたのである。
さて、そんな佐竹氏であるが、当時の藩の中心であったのはここ角館ではない。現在の秋田市内にある久保田城が佐竹氏本拠地であった。ここ角館には、最初は佐竹氏の家臣の一人であった蘆名氏が入ることになる。
説明文を読んでいると、不思議な部分がある。岩橋氏は「南奥州の名門会津黒川城主芦名氏の重臣であった」。ちなみに、会津黒川城とは今の会津若松市にある鶴ヶ城のことである。それが、蘆名氏が滅亡すると「兄」である佐竹氏を頼ったというのである。名門蘆名氏の「兄」が佐竹氏とはどういうことなのか。名門蘆名氏はどうして、佐竹氏に従ってここ、角館までやってきたのか。実はここに、岩橋氏が会津から茨城へ、さらに一時は青森を経て秋田までさすらうことになった理由が隠されている。
時は戦国時代。いまの会津地方では蘆名氏が強勢を誇っていた。蘆名氏は盛氏の代に最盛期を迎える。北条氏・武田氏と同盟して佐竹氏と対立するなど、当時の蘆名氏は東北では伊達氏と肩を並べるような有力な大名であった。
しかしその栄光も長くは続かない。最大の問題は、盛氏から家督を継いだ盛興が若くして亡くなってしまったことだ。驚くべきことに、盛氏は側室を一人も持たず、子どもは盛興一人であった。現代的に見れば「奥さんひとりを大切にした」と評することも可能もしれないが、400年前の乱世は当然現代の価値観がそのまま通用するものではない。後継者不在は蘆名氏の支配に暗い影を落とし始める。
降伏した二階堂氏から人質として差し出された盛隆を後継者に据えるが、突然他の家から連れてこられた新当主は、家臣の全員にとって必ずしも容認できるものではなかったようだ。蘆名氏の家臣の中では対立が深まっていく。その中で、結局盛隆は寵臣によって暗殺されてしまう。
混迷は止まるところを知らない。次なる後継者となるはずだった盛隆の子、亀王丸は疱瘡により夭折。蘆名氏は再び後継者不在の危機に陥る。次なる後継者は伊達氏の小次郎(政宗の弟)か、あるいは佐竹氏の義広かの2人が候補となった。両家、そして蘆名氏の家臣団の間での激しい争いの末、当主に据えられたのが佐竹義重の息子、義広である。そう、彼はのちに佐竹氏の当主となる佐竹義宣の弟にあたるのである。
しかし、これに対して伊達氏が黙っているはずがない。ここで登場するのがかの有名な独眼竜・伊達政宗である。
ここで立ち止まって考えてほしいのだが、佐竹氏から蘆名氏に養子としてやってきた義広が、蘆名氏の家中をまとめて、伊達氏とまともに戦うことができるだろうか。できるはずがない。伊達氏は後継者争いでは小次郎を推していた蘆名家臣(猪苗代氏)に対して調略を行い味方につけるなどして、徐々に伊達氏の有利を確立していく。そしてついに1589年、伊達氏と蘆名氏の一大決戦が行われた。有名な「摺上原の戦い」である。しかし、混迷の果てに戦場に立たされた蘆名氏は伊達氏の敵にもならなかった。蘆名方は武将の戦線離脱など裏切りが相次ぎ、大敗を喫する。
「独眼竜」として高い人気がある政宗の大勝が喧伝されるこの戦いであるが、義広の視点から見ればどうであろうか。政争のなかで養子として混乱する蘆名家中に連れてこられ、勢いのついた伊達氏と対決を強いられ、ボロボロに負ける。あまりに悲哀に満ちているではないか。この時の義広はまだ10代前半であった。その幼く小さな双肩には、すでに末期症状を呈していた蘆名氏の再興という使命はあまりに重すぎるものであった。
独眼竜政宗の飛躍は既に約束されたものだった。この大敗によって蘆名氏は壊滅し、義広は兄を頼り常陸へと逃げる。蘆名家臣のなかには伊達家に仕えたものも多かったが、岩橋氏はここで義広に従って共に常陸に逃げたことは説明板から読み取れる。こうやって名門・蘆名氏は歴史の表舞台から姿を消していくのだった。そして、岩橋氏の会津から角館への長旅も、このとき始まるのである。
これは余談であるが、1589年という年号に注目してほしい。翌年1590年に、豊臣秀吉は天下統一への最後の大仕事として、関東の北条氏を攻める。世に言う「小田原征伐」である。関東最大の戦国大名であった北条氏を下すことで、秀吉の権威は揺るぎのないものとなった。さて、秀吉は北条氏攻撃の前に、「惣無事令」なる法令を出したとされる。これによって大名間の争いを禁止し、違反すれば厳しい処分を下すというものである。
1589年に蘆名氏を破滅させた政宗は、残った蘆名残党の制圧に乗り出す。しかしこれら一連の政宗の軍事行動は、秀吉の惣無事令に照らせば厳罰を受けるべき内容であることは言うまでもない。結局政宗は小田原に滞陣する秀吉のもとに帰参し、恭順することとなった。この時に政宗が白装束姿であったという逸話は、あまりに有名である。政宗は、こうして手に入れた会津を手放さざるを得なかった。彼が「生まれてくるのが遅かった」と言われる所以は、ここにあるといえよう。
あっという間に政宗のもとから取り上げられた会津であるが、蘆名義広が再びこの地に戻ってくることは叶わなかった。会津には秀吉配下の武将であった蒲生氏郷が入った。しかし、蘆名義広も江戸崎(現在の茨城県稲敷市)に4万5千石を与えられ、一応蘆名氏は大名としての復活をみた。
が、その期間も長くは続かなかった。原因は、兄の佐竹義宣が1600年の関ケ原の戦いにおいて西軍に属したことによる。佐竹氏はこれによる仕置きとして出羽移封となる。これによって蘆名義広も落ち着いたばかりの江戸崎を離れ、兄に従って秋田へと移る。ここで蘆名氏に与えられた領地が、角館であった。
角館は会津、そして江戸崎と目まぐるしく戦国の世の混乱に翻弄され移動を余儀なくされた蘆名義広にとってついに安住の地となった。角館の街が発展し、現在のような街並みを私たちに残しているのも、この発展の礎に蘆名義広が果たした貢献が大きいことは言うまでもあるまい。
ここまできて悲しいことを付け加えるのも気が引けるが、どうも蘆名氏は後継者に悩まされる運命の武家だったようだ。義広の死後、息子たちは相次いで病死、最後には当主・千鶴丸が3歳で事故死し、ついに蘆名氏は途絶える。以降、佐竹北家が角館に入り、江戸幕府が倒れ廃藩置県を迎えるまでここを支配したのである。
さて、岩橋氏はというと、この混乱の中で、どうも一時は青森の津軽氏を頼って三百石を与えられていたらしい。しかし、主君への忠義を忘れていたわけではなかった。義広が角館へ移動してくると、再び義広のもとに戻ってくる。私は弘前から角館へとやってきたが、図らずも岩橋氏と同じ動きをしていたらしい。蘆名氏時代はわからないが、その後の佐竹北家時代の石高は86石というから、これでは津軽氏にいたころの石高の1/3となっている。それでも岩橋氏は蘆名氏に従って角館までやってきた。蘆名氏断絶後は変わらず佐竹氏に仕え、こうして現代に武家屋敷を遺したのである。
なお、同じように書くのだけに武家屋敷をのこす青柳家、河原田家も同じように最後まで主君と運命を共にした蘆名家臣たちである。今回は時間の関係もあり屋敷を見ることができなかったが、つぎに角館に来たときは必ず見たいものだ。
当主不在の混乱、大敗と崩壊、そして移封を迎えても決して蘆名氏を見限ることのなかった岩橋氏の文字通りの「忠義」を心から感じるともに、時間が遅くても私たちに丁寧に武家屋敷の隅々まで教えてくださった頑固そうだが親切なおじいさんの背中に、なかなかイメージのわかない岩橋氏の面影が重なって見えるような気がした。角館の景色だけではなく気風をしっかりと感じた、そんな気がした。「また来てね」というおじいさんの言葉を思い出し、再訪を誓いながら、もうすっかり暗くなった国道46号を疾走する。角館の街は少しにほろ苦く、しかし爽やかな、深みのある後味を残して離れていくのだった。
補記:歴史を専攻するものとしては、本来はきちんとした本、できれば専門書を下敷きにしてこういった文章を書くべきなのですが、社会情勢もあってなかなかアクセスするのが難しい状況であります。この記事は、筆者が記憶から引っ張り出してきた戦国時代の知識を、Wikipediaの各記事、あるいは本棚からどうにか引っ張り出してきた本たち(中田正光『伊達政宗の戦闘部隊 戦う百姓たちの合戦史』 洋泉社 2013・吉田龍司ら『戦国武将事典 乱世を生きた830人』 新紀元社 2008など)で補強して書いたものです。この記事は学術的な事実の提示を目的とするものではなく、歴史を知っていればちょっとした日常でも感動的なストーリーになり得るということを皆さんにお伝えすることを目的としており、必ずしも歴史的事実・最新の研究などとは一致しない面があることを、予めご了承くださいませ。
田中秀和さんの楽曲が好きなおはなし
数多くのアニソンを手掛ける売れっ子作曲家の田中秀和さん。近年はその特徴的なコードの使い方からいろいろと(詳細はまあ自分で調べてくれ)話題になりましたが、私にとっては何年も前から大好きな作曲家さんの一人です。
私は音楽理論に昏いものでして、理論的に田中秀和さんの作曲のすごさを説明することはできませんし、そういったことはYouTubeなどでとても分かりやすい解説をしてくださっている方がいらっしゃいますので、そちらにお任せしたいと思います。もはや、音楽的に間違っていることを言っているかもしれませんが、まあそれも大目に見ていただければと思います。詳しい人はこっそり教えてね。
まあ好きなものを好きということはきっと自由でしょうから、田中秀和さんが私にくれた大切な曲のいろいろを、ご紹介していくとしましょう。
初級編 キャッチーでも凄い曲たち
平成アニソン大賞で特別賞にノミネートされたことでも知られる名曲。アニメの顔ともいえるような正統派の曲ながら、田中秀和さんらしさもあるところが好き。特に使ってる「音」は本当に田中秀和さんって感じがあるよね。なんて言うんだろうなあ、宝石みたいな音というか。アイドルマスターシンデレラガールズの『ススメ☆オトメ~jewel parade~』とか『EVERMORE』とか『Star!!』とか『M@GIC☆』もこの系譜かなあ、と思いますね。『カレンダーガール』と『ススメ☆オトメ』は本当に似てるよね。あるいはWake Up, Girls!の『Polaris』とか。あ、これは個人的感情ですが『Polaris』はめちゃくちゃ好きです。WUG新章を敬遠した人もこれだけは聴いてくれ。あと北斗七星をイメージしたフォーメーションからダンスが始まるのも狂おしいほど好き。以上。
ちなみに『カレンダーガール』では作詞のこだまさおりさんの歌詞が素晴らしい。「何てコトない毎日が かけがえないの オトナはそう言うけれど いまいちピンとこないよ」。音でも歌詞でも、学校に通う女の子の瑞々しい毎日を切り取ったようなきらめきと切なさにあふれています。もうなんてことない毎日がかけがえないと思うような大人になってしまったなあ。そもそも瑞々しい女の子でもなかったけど。
アイカツでは『オリジナルスター☆彡』や『prism spiral』など他にも多くの曲を手掛けている田中秀和さんですが、個人的には『Angel Snow』が好きです。クリスマスっぽいキラキラでちょっとゴージャスなサウンド、キャッチーなメロディーライン。歌詞もあわせて、とってもかわいい一曲です。あとはね、サビ直前にバンって入る和音。これが田中秀和さんでしょ。「田中秀和入門」としておすすめの一曲ですね。
アイカツ!ミュージックビデオ『Angel Snow』をお届け♪
中級編 違和感のない曲芸
雀が原中学卓球部 / TVアニメ 灼熱の卓球娘 オープニングテーマ「灼熱スイッチ」MV Short Ver.
一躍話題となった『灼熱スイッチ』。サビ頭で驚きの展開を見せることによって、アニソンが好きな人にもそうじゃない人にも強いインパクトを与えました。
この曲はとにかく完成度がすごい。一曲で「田中秀和」という作曲家のすべてが表されていると思うんですよね。大好きな曲で、インストだけでももう何百回と聴いたと思います。
サビ頭のコード進行はまあ有名ですね。なんかJ-POPって恐ろしいほど聴き続けると容易に次の展開が予想できるようになってくるのですが、それを裏切って予想できないような展開を持ってくるのが田中秀和さんのすごさです。このコード進行ですが、大サビの展開も含めて効果を出していると思うので、この曲はぜひフルで聴いてほしい。あとその静かな部分では田中美海さんの声の良さも光っているので、ぜひ。
サブスク全盛期になって、曲をファッショナブルに聴き捨てる時代になった昨今において、田中秀和さんの作曲は「2番から最後に至るまで飽きさせない展開」を意識しているのかなあ、と自分は思うんですよね。とくにアニメのOPやEDなんかはワンコーラスだけ聴いて、それで満足してしまうことも多いと思うんですが、そうじゃない。単に繰り返すだけじゃなくて、4分か5分の時間全体が芸術作品になっている。そこがすごいところだと思うのです。
ちなみに『灼熱スイッチ』ですが、サビ以外も魅力的なメロディーにあふれています。特にBメロは死ぬほど好き。なんならそこが一番好きまである。間奏部分のギターソロもめちゃくちゃかっこいいし。とにかく「全体を」聴いてほしい曲ですね。
まだしゃべるのかよって感じですが、この『灼熱スイッチ』、実はc/wがまた最高なんですよね。これも今のサブスクやダウンロードがほとんどという時代ではA面だけ聴いちゃうことも多いんですが、B面の『V字上昇Victory』もぜひ聴いてほしい。あ、こっちは秀和上級編です。この違和感が麻薬のように癖になるのですが、それは後ろの項でご紹介しましょう。
ところでその『V字上昇Victory』では卓球の音がバックで使われているのがこれまたおしゃれなんですが、こういう仕掛けも田中秀和さんの魅力の一つです。この手でおすすめなのがこれ、『Good morning my dream』。
【アイカツ!】ED Good morning my dream
もうイントロが才能の塊でしょ。「朝」をイメージする曲は多いけど、「朝」をこういう音でもって解釈するのか!っていう。曲の全体を通じて、時計の秒針の音でリズムを刻んでいるんですよね。しかもこれが、最初はあんまりハマらないんだけど、聴けば聴くほどハマっていく。本物の麻薬かな?
GATALIS 「グッドラック ライラック」 試聴動画 <TVアニメ『アニメガタリズ』 EDテーマ>
『グッドラック・ライラック』も、一見キャッチーな曲と思わせながらサビ前で「は?」ってなるんですよね。なにそれ。ありえんやろ。でも何回か聴けばもう「こころのどーあー」って口ずさんでる。やっぱ麻薬だろ。
一番すごいと思うのが、これだけいろんな工夫が凝らされているのに、この辺の曲ではなんの違和感もなく聞き流せるところだと思うんですよ。作りこまれているのに、作りこませている感じを一切させない。さらっと自然に聴かせることができて、それなのに組み込まれた工夫は確実に私たちの心を奪っていく。尊敬します。
上級編 度肝を抜く構想と展開
Wake Up, Girls! / 恋?で愛?で暴君です!(Music Video)
ここまで常人でも理解できる曲たち。ここからが沼です。この辺の曲が好きになったらもう抜け出せない。
『恋?で愛?で暴君です!』は、もう聴いた瞬間に違和感を感じざる得ない楽曲。もうおしゃれにオブラートに包む気もないじゃん。その展開に全くついていくことができんがな。もはや曲として成立させているという一点をもってすごいと言えるくらい奇抜。ただ、この違和感が徐々に快感に変わっていくんですよね。
ちなみにWUGは田中秀和さんが手がけた楽曲が恐ろしいほどいっぱいあります。『7 Girls War』から始まって、『極上スマイル』とか『素顔でKISS ME』とか『少女交響曲』とか『Beyond the Bottom』とか。ソロ曲の『ステラドライブ』とかまで含めて本当に名曲ぞろいなので、秀和沼におちたならWUGに向かってください。あとアイカツと。
同じ系統なら『PUNCH☆MIND☆HAPPINESS』とかもそうですね。もうイントロからおかしいだろ!って感じなんですが、気づいたらこの不協和音が癖になってる。声優さんたちの独特な声と、畑亜貴さんの歌詞もあいまって、中毒性が極度に高い一曲です。
Run Girls, Run! / Share the light
最近の曲で度肝を抜かれたのはこれ。最初に聴いたときはいやあやりすぎだろ、と思うんだけど、やっぱいつの間にか好きになってるんだよね。この曲は特に「次の展開が読めない」という特徴の極致をいっていて、もう最初から最後まで目まぐるしく変わっていく。はっきりいって置いていかれてますわ。でもきっと、ここまで来た皆さんは、これが癖になってしまうだけの感性をお持ちでしょう。聴けば聴くほど新しい顔をみせてくれて、違和感は快感に変わっていく。それが田中秀和さんの音楽の魅力だと思っています。
こんなもんじゃあ田中秀和さんの曲の魅力を到底説明しきれていないし、まあ私の力ではこうやって何の根拠もない感覚を稚拙な言葉を重ねて説明するしかないのがどうにももどかしいのですが、いかがでしたでしょうか。本文中にたくさん散りばめた曲たち以外にも『太陽曰く燃えよカオス』とか、『花ハ踊レヤいろはにほ』とか、『自分REST@RT』とか『snowdrop』とか、他のコンテンツでもたくさんおすすめしたい曲があるのですが、だいぶ長くなってきましたし泣く泣くここまでにしておきます。興味をもってくれた方は、いろいろ調べてみてね。
それではまた。
こばとん
こばとんの旅行日記・2019年ベストシーンアーカイブス
こんばんは。こばとんです。
19日に県をまたいでの移動が解禁され、感染に十分に気を配った上であれば、旅行をすることができるようになりました。しかし、依然として感染の心配がなくなったわけではありませんし、何よりあと一か月は授業とそしてたくさんの課題に追われて旅行どころでは無さそうですので、今日は昨年の旅行を振り返っていきたいと思います。
2019年は私にとっては大学4年生としての1年間だったので、いろいろと忙しいこともあったのですが、それまでの大学生活を良くも悪くも大きく占有してきたサークル活動が無かった分、自分の意志での旅行が増えて、内容的にはすごく充実して大学生らしい1年間になったかなあ、と思います。あとねえ、これは2018年夏以降なんですが、車をつかえるようになったのが大きいですね。やっぱり車はすごいよ。おかげさまで1年半で20000km以上運転して、もはや嫌になるほど運転に慣れることができました。
それでは、1月から順番に見ていきましょう!
2019.01.14
2019年最初の旅行はドライブで、小田原から箱根を越えて山中城へ、さらに柿田川、沼津と伊豆北部を旅しました。沼津は伊豆じゃなくて駿河か。
やっぱり一番の見どころは山中城だったかな。ここは戦国時代に北条氏が築いた城で、1590年の小田原攻めでは北条方・豊臣方両者に多くの損害を出す激しい戦闘が行われ、落城しました。
北条氏は非常に築城に優れていて、見どころのある城が多いのですが、ここは特に独特の防御構造が非常によく残っているので見ごたえがあると思います。首都圏からちょっと足をのばして行ける城のなかでは群馬県太田市の金山城についでおすすめ。
沼津では沼津港深海水族館に行ったんですけど、友人が「水族館のサントラ」を購入して帰りの車内で流していたのが印象的ですね。どんなドライブだよ。唯一無二の思い出ですね。
2020.01.25-27
2019年一度目の那須。この時は雪を楽しむことができました。映画「テルマエ・ロマエ」の舞台としても知られる北温泉に訪れたのですが、ここは秘境の温泉として知られるところで、携帯も圏外になります。が、雪の時期に訪れたのはこれが初めて。そして何度も訪れたことのある場所ですが、一番印象的な訪問になりましたね。雪に閉ざされた谷底までようやくたどり着くと、そこにはあまりの風格とともに歴史的な温泉旅館が現れました。不意の混浴にびっくりしたり、雪がちらつくなか髪を凍らせながら温泉にはいったりと非常に楽しい経験だったのですが、一番印象に残っているのは、帰りに入口の少し曇ったガラス窓から見えた雪に覆われた世界ですね。「雪国」ってこういうことなんだ、雪ってこれほどまでに閉塞的な気持ちにさせてくれるのか、と痛感しました。北温泉はおすすめですが、冬季は服装・足元ともにきちんと対策していってくださいね。
ここから同乗者2人を横浜まで送り、某友人とわが家に宿泊し、翌26日には秩父へ。なんだよこのフットワーク。もう今できる気がしないわ。
秩父では三十槌の氷柱を見たり、旧大滝村の奥の方まで行って星空を見たりしました。最後は終電が間に合わないという同乗者2人を秩父駅で降ろし、一人で自宅まで戻るという涙のラストを迎えたのも印象的ですね。ちゃんと終電間に合ったのに(恨み)。
2020.03.19-20
日帰りドライブのつもりで茨城に向かい、那珂湊で高くておいしい回転寿司を食べ、竜神大吊橋でバンジージャンプに挑む命知らずたちをだらだらと眺めたり、かの有名な袋田の滝に行ったりしているうちにテンションが上がり、そのまま1泊することとなった旅行。これも印象深いね。当日の16時に予約して一人5000円で芦ノ牧温泉の丸峰旅館に泊まらせてもらったところ、あまりの宿の豪華さに実は総額15000円じゃなく一人15000円だったんじゃないかときらびやかなホテルのロビーで大騒ぎしたり、晩御飯を食べに行こうとするもどこも開いておらず会津若松市内まで移動するなど、ドタバタ感も楽しかったかな。翌日は大内宿に、そしていろは坂を越えて華厳の滝、そして中禅寺湖・戦場ヶ原まで行きました。何が怖いってこの行程を全部ひとりで運転してるところ。超人かな?
2019.04.13-15
桜前線に感化されて東北へと花見に出かけた旅行でしたが、桜前線と追い越さんばかりの内容になりました。2019年に東北への旅行が激増したのが、一度那須で一泊すると東北が一気に近くなるという発見があったからですね。那須からなら仙台は3時間、盛岡は4時間ちょっと、青森だってどうにか一日で到達できそうな距離になります。この発見こそがこの年の最後にやってくるとんでもない旅行へと私を導いていくことになるのですが......。
お目当ての三春滝桜はまだ3分咲き程度。芋の子を洗うような混雑はいいんですが、一体何時間待てば駐車場に入れるのかというほどの渋滞。三春滝桜に車で観光にいこう、と考えられている方は何らかの対策をした方がいいかな。
なんとここからさらに北上します。まずは郡山へ。地元のお祭りを楽しんでからさらに北上し、仙台まで到達しました。勾当台公園の駐車場に車を停め、青葉城へ。最寄りの国際センター駅から青葉城までは坂がきつく、だいぶ疲れました。
市内まで戻り夕食に牛タンを。食べログで評価の高い店をあさっていたのですが、「炭焼牛タン東山」さんへ。もちろん牛タンもおいしかったのですが、追加で注文して二人で分けた山葵牛タンが絶品でしたね。本当に山葵って不思議な調味料?ですよね。初めて食べようと思った人に敬服。
帰りに飯坂温泉の伊勢屋さんという旅館で日帰り入浴したのですが、ここでは素敵な出会いが。旅館で外国人の方が働いていらっしゃったんですよね。なんでも日本の温泉が好きで日本に来て旅館で働いているのだとか。花見風呂を楽しみながら、素敵な夜でした。後ここ、宿泊も安いので、いつか宿泊でお世話になりたいところです。
2019.09.22-24
院試もおわり、解放感のまま旅行を計画した9月末。最初は新潟県の粟島浦村に行く予定で、宿も予約していたのですが、台風の影響もあって船便が運航する保証ができず、泣く泣くキャンセルに。この時、宿の方がキャンセル料をゼロにしてくださったんですよね。粟島には絶対に再訪したいと思います。
計画を急遽変更し、お得意の東北旅行へ。那須経由で平泉・花巻へ。花巻で一泊し、翌日はボランティアで訪れた高校生以来に釜石、そして三陸へ。
途中訪れた、釜石線上有住駅すぐの滝観洞は穴場の観光スポット。ヘルメットとジャンパーを借りたら、探検の始まり。終わりの見えない鍾乳洞をダンジョンのような難所を越えつつどんどん進んでいくと、終わりには珍しく、そして綺麗な「洞窟内の滝」が。ここは自信をもっておすすめできるポイント。足腰に自身のあるひとが挑戦してね。
三陸では復興の息吹を感じたのと、同時に少しづつ薄れていく震災の記憶を、そして依然のこる課題を感じた旅行でしたね。今度はゆっくり訪問したいところ。
ところでまた帰りに仙台により、晩御飯は牛タンを。もう仙台には牛タンしか食べにいってないじゃん。
ところでこの余裕のない計画変更の中、怪我の功名でとてもよい旅館を見つけました。花巻・台温泉の中嶋旅館さん。純和風の建築でまるで某アニメを思い出すような優美な外観。雰囲気いっぱいの内部。それであるにも関わらず、増築を繰り替えしたようでキメラティックで不思議な内部構造。直接岩盤を掘って作った半地下の岩風呂。きれいで居心地のいいお部屋。極めつけはご飯がおいしいんだよね。なんだろう。絶品じゃないんだけど、すごく落ち着くのです。ここは12月の東北大旅行でもお世話になりました。そしてまた行きたい。
2019.12.18-22
卒論を書き上げた12月。ついに大学生活の集大成といえる、そして狂気の旅行に出かけたのでした。
これまでで確立された、那須で一泊する方法でまたまた東北へ。まず秋田のかつての鉱山の街、小坂へ。続いて弘前へ出て、素敵なラーメンと出会い、弘前城を観光。ついで五所川原から五能線にそってすすみ。深浦の不老不死温泉で一泊。
初日に関してはブログがあるので。2日目以降の投稿がいつになるかはわかりません。
翌日は日本海と白神山地を眺めながら、まずは秋田県の八峰町で素敵な神社に出会い、鷹巣から秋田内陸縦断鉄道に沿ってすすみ峠越え。日本のバイカル湖・田沢湖でたつこ像を拝んだなら、休むまもなく乳頭温泉へ。
ここ、乳頭温泉は間違いなくお勧めできます。乳頭温泉にはいくつかの温泉があり、ところによっては冬季は開いていません。写真の鶴の湯は、きっと乳頭温泉を紹介する写真や映像では一番馴染みのある温泉です。ここまでの道の状況は、特に冬季は絶望的に悪いので気を付けてね。あんなに大きな穴がぼこぼこあいてる道、初めて見たわ。
その雰囲気には本当に圧倒されます。なんでこんなとこに温泉があるんだ、という感覚。露天風呂は本当に綺麗。さすがにお風呂自体の写真はありませんが、まあ鶴の湯で検索してよ。ところで、ここの温泉はなんと温泉の床面(というか下は砂利なんだけどさ)からお湯が直接湧いてるんですよね。きっととても鶴の湯に詳しいのであろう優しいおじさまがいて、「奥に行けば下からお湯が沸いてるんだよ、行ってみな」というから奥に行ってみたんですが、本当にぽこぽこと湧いてるんです。そしてちょっと砂利を掘り返すとこれが熱いこと熱いこと。本当に熱がっている私たちをみておじさんは微笑んでいらっしゃいました。途中から雪もちらちらと舞いだして、本当に幻想的な景色でした。ここは混浴なので、ちょっと女性には厳しいかもしれませんね。もちろん男女それぞれの温泉もあるのですが、この露天風呂ほどの美しさはなさそうです。
その後は角館へ。ここではちょっとした歴史ロマンを感じることができたのですが、それはまた記事にしようかな。この夜は花巻まで移動し、かの中嶋旅館さんに投宿。
最終日は花巻を出発。まずは蔵王へ。まだ樹氷は早かったかな。それでも、マイナス18度の世界を楽しみました。それより、蔵王には本当に中国人しかいなかったんですよね。今年は例年よりひっそりとした冬になるのでしょうか。
蔵王を出たら次は今何かと人気の銀山温泉へ。本当はここに来ることが旅行のメインだったんだけどね。乳頭温泉の素晴らしさと、花巻で和風旅館に泊まったこと、そして長い旅行の疲れから、なんだか感動は少し薄かったかもしれません。
あとね、これは反省と忠告なのですが、銀山温泉では宿泊者の入浴を優先するため、夕方以降に入浴できる温泉は小さな大衆浴場以外ありません。ここの満足度はそこまで高くないと思います。銀山温泉で入浴を楽しみたかったら時間を長く用意して、昼ごろにはついているようにしましょう。あと、入口の山形弁のおじいさんが訛っていてなんておっしゃっているのか本当にわからんかった。五所川原の津軽弁のタクシー運転手さん同士の会話と同じくらい。方言ってすごい。
その後は将棋の街・天童へ。そして山形市の外れにある「3分以上連続して入ることが禁止されている」不思議な温泉、百目鬼温泉へ。他の要素が多すぎてわからなくなっていますが、本来は「温泉巡り」の旅だったのよね。
最後は米沢牛を食べて旅行を締めるつもりだったのですが、そのあまりにも高いお値段に泣く泣く断念。SAで喜多方ラーメンを食べて、長い東北旅行は終わりを告げたのでした。
以上。こばとんの2019年の旅行を写真と一緒に見てきました。これだけ旅行にいっていたわけですから、自宅に留まらざるを得なかった今年の上半期がまるで何もなく、あまりに早く感じるのも仕方がないのかもしれません。大学院生として過ごす間は、鉄道を使って一人旅をしようと思っていたのですが、この情勢のなかなかなか難しい状況です。一刻も早く日常が戻ってくるといいな。
今夏もどこかコロナ感染に留意しながら行けるところがあれば行きたいと思っているので、おすすめの場所があったら教えてください。どこがいいかなあ。こんどは北じゃなくて南にいきたいかな。
それではまた。
こばとん
ニジガク3rdアルバム試聴動画レポート 前編
あれだけアツくブログを書いておいて今日ようやく無敵級*ビリーバーの予約をしてきたこばとんです。
無敵級*ビリーバーに関するブログ記事はこちら↓
新しい取り組みとして賛否両論ありながら、すっかり安心と信頼の感があるニジガクのソロ曲ですが、5月28日より毎週木曜日に「ニジガクみゅ~じっくウィーク!」と題して3rdアルバム収録楽曲が一人ずつ公開されています。毎週楽しみに日々を送れるいい企画だと思うのですが、一方で一週間が経過するということの無情なほどの早さを感じてもいます。さて、今日はここまで発表されている4曲をまったり聴いていきましょう。
M1:Margaret 鏡の向こうの「秘密の恋」
【ニジガクみゅ〜じっくウィーク!〜1週目〜】Margaret / 中須かすみ(CV.相良茉優)
1週目に公開されたのは中須かすみちゃんの『Margaret』。
ニジガクのソロ曲は作詞あるいは作曲を同じ人が務め、キャラクターのイメージをより強固に、かつ確実に深めていますね。かすみん担当は作詞の鈴木エレカさん。
なお、作曲はニジガクではおなじみとなってきたCarlos Kさん。Carlos KさんはそれまでAKB48や西野カナの楽曲をプロデュースしてきた売れっ子作曲家でAqours『WONDERFUL STORIES』で初めてラブライブに携わった時は、それまでラブライブになかった曲調と、日本レコード大賞で大賞を受賞した(西野カナ『あなたの好きなところ』)経歴から、「すごい人に書いてもらえるようになった!」と話題になったのも記憶に新しいですが、ニジガクでは多くの曲を担当し、すっかりラブライブの「顔」になりつつありますね。
曲調はJ-POPらしい明るくも綺麗なメロディーラインが特徴で、これまで『ダイヤモンド』、『☆ワンダーランド☆』とライブ映えするアイドルらしい曲を出してきたかすみんの曲とは一線を画す形に。
さて、花の名前をタイトルにしてきたということは、「花言葉を調べよ」という指示と同じでしょう。問題は花言葉って調べてもサイトごとにぶれがあってどれが正解なのか分からないことなんだよな......。
マーガレットの花言葉は「恋占い」、「真実の愛」、「信頼」。あるいは「秘密の恋」なんていうのもありますが、どうでしょう?
「恋占い」っていうのは、マーガレットの花びらを使って恋占いをするからですね。そう、「好き」「嫌い」「好き」「嫌い」と一枚一枚めくっていくあれです。でもここではちょっと違う気がするかなあ。やっぱり「真実の愛」、「信頼」、あるいは「秘密の恋」といった方がすっきり理解できる気がしますが、どうでしょう。「いつも好きでいてくれる君にとって 一番でいたい」なんだから。
『無敵級*ビリーバー』でもそうだったのですが、やっぱり「鏡」というのが中須かすみというアイドルを語る上で欠かせないアイテムになってくると思います。裏返して言えば、「自信の無さ」につながるともいえるかもしれません。"Mirror, mirror on the wall"。「鏡よ鏡」と鏡に問いかけるのは、自分よりかわいい人がいることに対する、自分が一番でないことに対する不安によるものではないでしょうか。
虹のストーリーでは明確に上原歩夢ちゃんと中須かすみちゃんのふたりが、ライバル意識をもって描かれるだけに、かすみんが常日頃鏡と向き合って「かわいい」を磨いているのは、そして常々ニジガクのライバルたちをいたずらで蹴落とそうと画策するのは、「鏡よ鏡」と問いかけるかすみんが他の誰にも負けたくないという思いがつよいからでしょう。
『無敵級*ビリーバー』もそうでしたが、『Margaret』でも、どちらかといえば素直ではないかすみんの、本心に近い部分が描かれることが増えてきました。これから「あなた」とかすみんの関係は、かすみんの「秘密の恋」があきらかになることによって、進展していくのかもしれませんね。
M2:Say Good-Bye 涙 歩夢ちゃんの自立宣言
【ニジガクみゅ〜じっくウィーク!〜2週目〜】Say Good-Bye 涙 / 上原歩夢(CV.大西亜玖璃)
2週目に公開されたのは歩夢ちゃんのソロ曲『Say Good-Bye 涙』。歩夢ちゃんは『夢への一歩』、『開花宣言』とともに作詞がAkira Sunsetさんで統一されていますね。
かっこよく威勢のよいイントロで入っていくアップテンポな曲ですが、歌詞は前向きとはいえどことなく悲しさを、そしてその中での決意を示すような曲ですね。
歩夢ちゃんはスクスタストーリーであなたちゃん(そろそろ侑ちゃんと呼んだ方がいいのかな?でもなんか慣れないんだよね)との衝突が描かれたばっかりですから、スクスタプレイヤーとしては今後の歩夢ちゃんを表しているようで深読みしたくなる曲ですね。
歌詞は全体として「あなたからの自立」を歌っています、が、ここまであからさまとなると「あなた」とはスクスタにおけるあなた、侑ちゃんを指しているしか思えません。「自信がなくたって 全力でやれば伝わるはずだって いつもそんな気持ちの私だけど」、「あなたがくれるやさしさに よりかかって甘えていたのかな」。
「自信のない私」のまま、あなたに背中を押してもらってステージに立つよりも、「自信のある私」として、自力でステージにたって輝きたい。そういう強い歩夢ちゃん自身の宣言、それがこの曲なんだと思います。
ところで「1人じゃなくみんな一緒に 最高の景色を見る時だ」って歌詞、気になりますね。これから先、ニジガクが全員でステージに立つことが、スクスタのストーリーで描かれるのでしょうか。
「頼りなくてごめんねなんてもう 二度と言わないよ絶対」。歩夢ちゃんの強い意志を、これからも見守っていきたいところです。
M3 やがてひとつの物語 大女優はハッピーエンドをつかみ取る
【ニジガクみゅ〜じっくウィーク!〜3週目〜】やがてひとつの物語 / 桜坂しずく(CV.前田佳織里)
3週目は桜坂しずくちゃん。個人的には2ndアルバムの『オードリー』がライブパフォーマンスも含めて印象的でしたが、しずくちゃんの場合は全曲で作詞・作曲ともに月見草さんが担当しています。虹のソロ曲は実際は同じクリエイターさんが複数の曲に携わることが多いのですが、月見草さんだけはしずくちゃん以外の曲を担当したことはありません。そのためかしずくちゃんのソロ曲は毎回唯一無二の印象がある気がします。
『やがてひとつの物語』は大胆にBメロにセリフパートを取り入れたところが印象的。曲調は違いますが、展開は高海千歌ちゃんのソロ曲『One More Sunshine Story』を彷彿とさせますね。個人的にはこう猫の目のように曲調やテンポが変わる曲、好きです。
しずくちゃんは演劇部を掛け持ちしていて、その演劇好きがフィーチャーされることの多いキャラクターなので、セリフパートはむしろ「待望された」といった方が正確なのかもしれません。
しずくちゃんはどの曲でも「演技していない自分」を出せない苦悩が描かれることが多いですね。そんななかでも、少しづつ「あなた」との距離が近づいていることが感じられるところがいいですね。最初は「ずっと側で ただの後輩を演じさせてください」だったしずくちゃん。『やがてひとつの物語』では、「結論は出せない」としつつも、あなたと私のストーリーをひとつに重ねたい、と言っているのだから、「ただの後輩」にしかなれなかった1stアルバム時点からは、大きな成長と言えるでしょう。
これから先、しずくちゃんがあなたとどんな「ハッピーエンド」を迎えるのか、楽しみでしょうがありませんね。
M4 哀温ノ詩 「哀温」なこの日は、どれだけ悲しい日か
【ニジガクみゅ〜じっくウィーク!〜4週目〜】哀温ノ詩 / エマ・ヴェルデ(CV.指出毬亜)
4週目にして最大のインパクトを残したのがエマ・ヴェルデちゃんの『哀温ノ詩』。
Ryota Saitoさんは1stの『Evergreen』から、浦島健太さんは前作『声繋ごうよ』に続いて、エマちゃんの曲を担当しています。
まあまずはその曲調でしょう。和風、というか沖縄民謡といった感もあるサウンド。エマちゃんの場合は、『Evergreen』ではむしろ故郷ヨーロッパのイメージを、『声繋ごうよ』では一転して歌のお姉さんのような曲調へと変化しただけに、どちらかといえばゆったりしているという共通点を除けば、むしろ非常に広い幅を見せてくれているというところでしょうか。
編曲もあいまって、だいぶ音と展開に重厚感があるんですよね。こういうバラード曲って、歌い手の技量がなければ、そのサウンドの方にボーカルが負けてしまうので、どちらかといえば女性シンガーなんかが歌っているような曲調だと思うんですが、むしろ強烈に主張してくる指出毬亜さんの声にびっくりしました。こりゃもしかして虹で一番うまいんじゃねえか?もともと「マイナスイオン」と言われるその独特な声で個性を持っていますが、それ以上の歌声を見せてもらった気がします。特にサビ前やサビでみせる裏声がまたいいですね。というかBメロの歌い方は沖縄出身の歌が上手いひとのそれでしょ。いやちゅんるんは我らが埼玉出身だけども。
さて、「哀温」とは何であるのか。あるブログでその出典を述べているものがありましたが、私はそれである程度間違いないと思いますね。常用的な言葉というよりは、日本における仏教用語といったところでしょうか。一応中国史専攻なので、ここでカッコよく「出典は詩経だ!」とか言えればいいんだけどね。そうはいかないんだわ。全然専門が活かせてないのは勉強不足もあるかもしれませんね。精進します。
個人的には、もう少し漢字自体がもつ「雰囲気的な意味」に注目したいところなんですよね。「哀」は確かに悲しいという気持ちを表す言葉なんだけど、「愛」に音が通じることからわかるように、「愛」から発する悲しみのことが「哀」なんですよね。
「温」ですが、これはまあ「やさしいこと」、あるいは「おだやかであること」。歌詞では「誰かに優しく ただなれればいい」といっていますから、そういうことでしょう。
では穏やかで温かい、愛しいが故の悲しみとはなんなのか。気になるのは「侘しい旅」ですよね。「侘しい」のか。「侘び寂び」の侘びというイメージがありますが、侘び、というのは本来風流というよりは物悲しいイメージなんですよね。「侘ぶ」の活用形でしょ。「侘ぶ」は今となっては「詫びる」として謝罪することを表す言葉ですが、本来がっくりと気落ちすることや思い煩うことを指す言葉です。
これは推測ですが、エマちゃんが愛するものの何かが失われるような、そういう展開が描かれるかもしれません。それは日本のなにかなのか、スイスのなにかなのか、もっと違うものなのかはわかりませんが......。「千里越」や「旅」といっているし、きっと故郷のスイスは関係してくるんでしょうね。これは単なる望郷の念ではないと思います。「いつか今日を思い出したら 誰かに優しく ただなればいい」。「この日」がどれだけ悲しく、寂しい日なのか、きっとこれから明らかになることでしょう。悲しいエピソードを受け入れるだけのこころの準備が必要かもしれませんね。
以上、前半に公開された4曲を聴いていきました。こうやって書いている間、ずっとYoutubeでそれぞれの歌を聴き続けているのですが、とにかくニジガクのソロ曲はぱっとキャッチーに聞き流す曲じゃなくて、キャラクターとか、ストーリーの背景とか、あるいはライブでの披露とか、そういう部分と合わせてじっくり聴くことでより輝くような曲がそろっていると思います。今後アルバムが発売されたら2番以降も含めてフルコーラスで聴けるでしょうし、そうしたらまた、一段と曲が深まっていくのだと思います。
後編は全員の9曲が紹介されたタイミングで、残りの5曲について書いていきたいと思います。お楽しみに。
それではまた。
こばとん