こばとんの東北旅行記 その1

 こんばんは。こばとんです。

 本当は今頃は日本から遥か彼方、ローマにいたはずなのですが、憎き彼のウイルスのお陰で卒業旅行は中止の決断をし、いまは無限に続くかの如き暇を持て余しているところです。ヨーロッパでも感染拡大は急速に進んでいて、旅行の中止はまあ正解だったのかもしれません。私にはまだ長期休みが何回かありそうだし、落ち着いたらまたゆっくり観光しにいけたら、と思っています。

 

 さて、もともと筆不精なのに、ブログにする予定だったネタすらなくなってしまいました。どこか旅行に出たい気持ちもあるのですが、まだまだしばらく世の中は騒がしいようです。そこで、もはや二月半前になってしまった東北旅行の旅行記を、思い出しつつ書いていきたいと思います。今回はその1弾です。

 

 今回の旅行は12月18日から12月22日までの5日間、といっても初日と最終日は埼玉から、東北方面への足場かけとして宿泊している那須までの移動なので、実質3日間で青森・秋田・山形の3県を巡ろうという弾丸旅行です。

 卒業論文が書き終わったご褒美的なイメージで計画した旅行だったのですが、考えてみれば大学に入ってから(国内旅行では)距離・規模ともに一番大規模な旅行になりました。コンセプトは「温泉巡り」です。そこまで温泉巡ってないけど。

 では、駄文ではありますが、私たちの東北旅行をご紹介していきましょう。

 

一日目午前 那須→小坂→弘前

 いくらスタート地点が関東ではほぼ最北端にあたる那須だからといって、目的地が青森の奥入瀬となればかなりの距離がある。朝食も食べず、まだあたりも暗いうちに車に乗り込む。

 那須ICから東北道に乗り、ひたすら北上する。いきなり愚痴になるが、運転というのは究極的には単純作業で、景色などの刺激がないと至極退屈なものである。高速道路というのは歩行者もおらず、信号もなく、比較的平坦で景色もそれほど変わらないなのでとても退屈である(だから居眠り運転などのリスクが高くなる)。さらに言えば、東北道は特に平坦で、福島市付近までトンネルすらない。圧倒的絶望。そんなことを言っても青森は向こうから歩いてきてはくれないので、アクセルを踏んで、着実に北へと向かっていく。

 

 そんな東北道にも見どころはある。国見ICを超えると、下りであれば視界の右側に、福島の街並みを見下ろして走ることができる。東北本線では藤田~貝田間にあたるこの区間は、車窓の絶景として紹介されることもある。おすすめは上り方向の夜間。助手席に座っていれば、左方向に福島市街が放つ光の海を見ることができるはず。

 

 仙台を超えたところ、鶴巣PAで運転手交代と朝食購入。給油も済ませる。まだ時間は朝の8時。昼までには弘前に到着できるだろうと目測を立てて、再始動する。

 古川、栗駒を超すと、一関から岩手県に入る。しかしこの岩手県は巨大な敵である。何しろ、北海道に次ぐ日本で2番目の面積を誇り、南北に189kmも広がっている。18きっぱー最大の敵とされる静岡県の東西の距離は155kmであるから、それよりも長いことになる。延々と北上川に沿って北上を続けるだけである。

 それだけ巨大な岩手県静岡県には共通点がある。高速道路の最高速度120kmが試験的に導入されていることである。花巻南IC~盛岡南ICまでは若干の罪悪感とともに、120kmで駆け抜けることができる。「試験導入」されている理由は、安全性をチェックしているのであり、安全であると判断されれば本格導入される可能性もある。もっと広がって欲しいものだ。

 

とはいえ今は平日の朝。目立った混雑もなく、気づいたら岩手山が近づいてくる。岩手山は標高2,038mを誇る山で、盛岡市内からもしっかり見ることができる。独立峰ではないが、青空に映える山の連なりがなにより格好いい。しっかりと雪化粧した山容は、私たちが雪国にいることを強く感じさせた。

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岩手山を望む

 岩手山SAで一時休憩。岩手山の写真が撮れることを期待してここで休憩をとることを選んだのに、岩手山は見えず。なんで......。

 

 安代JCTで八戸道と分かれる。この辺りは八幡平(「はちまんたい」ね、「はちまんだいら」じゃないよ)や安比高原と呼ばれる地域で、それまで淡々と平地を走ってきた東北道も山間部へと入っていく。鉄道は太平洋側の八戸を経由して青森に向かうが、東北道日本海側の弘前経由である。東北道最高地点もあるこの辺りになると、路傍に雪が目立つようになる。

 長かった岩手県を脱出し秋田県に入る。花輪線に沿って白い山々の間を走り抜けると、山が途切れて景色が開けてくる。鹿角市街を横目にさらに北上すれば、最初の目的地、小坂に到着である。

 「小坂」と聞いても小坂菜緒しか知らないよ、と言われてしまいそうだが、ここ秋田県小坂町は、かつては小坂鉱山の開発によって大繁栄した街である。今では鉱山は閉山し、町はすっかり寂れているが、当時の近代建築が多く残っている。鉄道ファンの間では、小坂製錬小坂線やその廃線跡に作られた、気動車の運転体験もできる小坂レールパークで知られているかもしれない(ちなみに小坂レールパークは冬季休業中だった。あとでさらに、この冬季休業という言葉に悩まされることになるのだが......)。

  小坂鉱山事務所は、小坂に残された近代建築のなかで最も有名なものである。1905年に小坂鉱山の事務所として建設。国の重要文化財でもある。

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小坂鉱山事務所

 建物は白を基調としており、気品がある。外壁が漆喰のせいか、西洋的というよりは和洋折衷のような風体。気に入った。

 内部も優雅なつくりで、螺旋階段で上層階へ上る。中は博物館になっていて、小坂鉱山の歴史を知ることができる。意外なのはその解放感。中庭に面する窓は大胆にガラスが使われていて、とっても明るい。うちの学部棟もあんな無機質な建物じゃなくて、こんな優雅で明るくぬくもりがある建物だったらいいのにとぼんやり考える。

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中は意外と明るい

 ほかにも小坂の街には、康楽館という芝居小屋や、旧小坂製錬小坂線の廃線跡など、鉱山で賑わった時代の後が残っている。わずかに残る雪を踏みしめながら、今は静けさにつつまれている小坂の街をしばし散歩した。

 小坂の街は非常にコンパクトで、短時間で巡ることもでき観光にはおすすめである。しかし、街全体でみるとやはり、寂れている感は否めない。しかしこれでも観光地化には十分成功している方であり、特に北海道などには鉱山の閉山によって産業を失い、特に観光地化も出来ず、極端な人口減少の憂き目にあっている自治体も数多くある。夕張市財政破綻も記憶に新しい。産業が街の維持自体に直結していることを痛感するとともに、地方創生の難しさを感じる。

 

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康楽館

 小坂ICから東北道に戻り、再び弘前を目指す。ここまで来ればもう弘前は目前である。しかし、もう時間は昼下がり。弘前についたらまずはおいしいお昼ごはんを食べることにしよう。

 大鰐弘前ICで東北道を下りる。国道7号を走ると、岩木山が見えてくる。「津軽富士」とも呼ばれる独立峰である岩木山は抜群の存在感で、弘前のどこからでも見える。毎日この美しい山を見ながら生活できるのは羨ましい気もする。

 

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夕方の岩木山

 さて、お昼ご飯は弘前の一駅隣、撫牛子(ないじょうし、難読!)駅近くのラーメン店、たかはし中華そば店へ。

 2002年に今の場所に移転してきたらしく、小綺麗な建物。普段は行列もできる人気店とのことだが、時間が遅いこともあってか、それほど待つこともなく席へ。ラーメンはちょっと贅沢して1100円のチャーシュー麺を注文。

 津軽ラーメンは煮干しを使ったダシが特徴とのことだが、私自身は正直煮干しベースのラーメンはあまり好きではなかった。が、一口スープを飲んだ瞬間、魚介系特有の臭みがなく、さっぱりした味にびっくり。しかしこのスープが曲者で、飲めば飲むほど癖になって離れない。麺は太麺でも細麺でもないけれど、適度にコシがあって美味しいいし、たっぷり乗ったチャーシューも満足感がある。が、何回も言うがこのスープが本当に格別である。天地がひっくり返った。3か月近く経った今でも舌の上で味が再現できる。今すぐにでも食べたい。毎週食べたい。東京に店舗を出してください、お願いします......。

 

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たかはし中華そば店 チャーシュー麺


さあ、お腹がいっぱいになったところで、弘前の街中へと向かうとしよう。

 

その2へ続く