こばとんの読書日記  『何者』

 朝井リョウさんの『何者』という作品がある。

 その本を買ったのは随分と前だったのだが、気まぐれな性分である。随分と本棚の奥底で眠っていた。

 大学三年生になって、長を務めたサークルを引退した。明日のこと休みのこと遊びのことを、必死に考えて大学の2年半を過ごしてきた。

 さて、私も将来のことを考えなくてはいけなくなった。就活情報アプリの会員登録を済ませ、斜にかまえてインターンに行った。大学生活とは堕落そのものである。船を漕ぐ手前をさまよって、つまらないと横暴に勝手な結論を下した。

 それからまたしばらくは、遊び呆けた。しかしまあ、周りの雰囲気もすこしづつ変わってくると、私は危機感を覚えた。

 おもむろに本棚に手を伸ばす。手に取ったのはそう、『何者』である。

 

 平手打ちを喰らった。そう思った。

 

 『何者』は、就活を題材にした小説である。主人公は就活に対して斜に構え、自身の分析に溺れている。いわゆる「就職浪人」、2年目の就活生である。

 この本はいわゆる「どんでん返し」がある本で、その具体的な内容は伏せておく。ぜひ読んで、体感してほしい。

 

 あっという間に私は本を読み切った。完全に本の世界へと没入していた。いつもは心地の良い感覚なのだが、今度ばかりは違った。

 未読の人には大変申し訳ないのであるが、結論だけ言わせて欲しい。「私たちは何者にもなれない。いつか誰かに生まれ変わることはできない。自分は自分であり、そのカッコ悪い自分と向き合っていくしかない」。

 

 最後のページを読み切ると、私は本を投げるように置いた。弾かれたように私は動き出した。反省の念と簡単に表現するにはあまりにやるせない感情がそこにはあった。

 甘かった。自分が嫌になった。斜に構えるのをやめた。就活のことを徹底的に調べた。インターンの応募を狂ったように投げた。親にお金を出してもらって就活生としての身なりを整え、日々御社に赴いた。

 

 一か月半就活をして、進路を院進に決めた。この決断についてはまたこの場所で書くこともあるだろうから、その機会に譲る。しかし、『何者』は本気で進路を考える機会を私に与えてくれた。

 無論、そんなに簡単に私自身が変わったわけではない。今だって自分が何者かになれるんじゃないかと心のどこかで思っているし、どうしようもなく弱い心はいつだって逃げ続けている。

 

 このブログすらも、朝井リョウの力を持っては、跡形も残らず粉砕されてしまうであろう。所詮ブログなんて自己満足である。自分に文章を書く力があると思い込んでいる、自己陶酔で世間知らずなあほな奴である。

 それでも、私は駄文を積み重ねる。何かを書くのが好きで、自分に文章を書く力があると考えるなら、実際に書けばいい。書かなければ何も始まらないのである。カッコ悪くても、だれも見向きもしなくても。恥ずかしくて消したくなっても、書き続ける。それがいつか血肉になると信じている。

 

 いやそれすらも意味がないなら、いつかまた「何者」かになれると思い込み逃げた自分が、この記事を見て、『何者』を読んだ後のあのどうしようもなく惨めで恥ずかしい気持ちを思い出せるなら、それでいい。