本当においしいもの

 

 皆さんは、「本当においしいもの」を食べたことがあるだろうか。

 「なんだこいつ、グルメを気取ってやがるのか」。そう思われてしまったかもしれない。きっと私なんかは偉大なグルメ好きの皆さんの足元にも及ばないだろう。

 これが初めてのブログ投稿である。若気の至りと思って、今日は少しだけ、私に「本当においしいもの」の話をさせてほしい。

 

 年の瀬。テレビには紅白歌合戦が映し出され、家族団欒の時間。幸せな一時も、私は子どものころ一つだけ、恐れていた苦手なものがあった。

 年末と言えば......そう、年越しそばである。私はどうしても年越しそばが苦手だった。予め断っておくが、私はけっして「蕎麦」という料理自体が嫌いなわけではない。ではなぜか。

 きっと無知だと笑われるだろう。贅沢との批判は甘んじて受けるとしよう。

 

 私は幼いころからずっと、十割そばを食べて育ってきた。それも、なにからなにまでこだわった、一皿1000円は優に超える品物である。そんな十割そばと年越しそば、それはまるで違う料理であるかのようなのである。(もちろん、市販のそばは私たちにできる限り安く・おいしいそばを届けたいと汗水たらして作って下さっている方々のおかげで私たちの食卓に上がってきているのであり、そのような人々の努力を踏み躙ろうということがこの記事の主眼ではない。今ではおいしく頂いている。)

 

 あるところにひっそりと佇む、一軒のそば屋。私の両親はそば屋の女将さんと懇意であった。

 そのそばは、「十割」を称していることからわかるように、つなぎを使っていない。それでいて、そばは魔法でも使ったかのように長く繋がっている。舌触りはなめらかで、さらにそばとは思えないほどの弾力を有している。もちもちと食べ応えのあるそばは噛めば甘みを感じさせ、A3ほどの大きさの板そばはあっという間に私たちの胃に収まってしまうのである。

 「お前の下手な食レポはいらんから、お店の名前を教えてくれ」。

 ごもっとも。喜んで教えたい。教えたいのである。

 

 それは突然だった。父に連絡があったらしい。脳梗塞。女将さんが倒れた。心配だった。今は病院にいるらしい。

 続いての報。「もう戻れないかもしれない」。晴天の霹靂だった。そばは?もうあのそばは食べられなくなってしまうの?

 そんな理由でショックを受けるなんて浅ましい限り、という指摘。その通りだろう。恥ずかしいばかりである。でも、底知れぬ悲しみがそこにはあった。まだ赤ちゃんの頃から何十年も可愛がってもらった。ちょっと怖いけど、でも優しい人だった。そして何より、私にとっては日本一、いや世界一おいしいそばを食べさせてくれた。私はそれを食べて育ったのである。そしてそのそばは、もう食べることができないかもしれないのだ。

 

 一期一会というが、それは人の出会いに限ったものではないのだと思う。別れはいつやってくるかわからない。一瞬一瞬を大切にしていかなくては。そう強く思った。

 

 「本当においしいもの」。世の中においしいものはいっぱいある。でも、そのすべてに出会える訳ではない。80年という人生の中で出会ったもの、それは奇蹟的な偶然である。「本当においしいもの」は、きっとそういうところにあるのだ。

 

もしも、もしも女将さんが、またそばを作れるようになったら、まっさきに食べに行きたい。そして満面の笑みで「おいしい」と伝えたい。そう思った。

 

 

P.S

 この記事を涙ながらに書こうと思った理由は、散々語った上記のことと、実はもう一つある。謝辞を述べたいのだ。

 昨年の11月、私は数人の友人をつれてそば店に伺った。家族以外で行ったのは初めてだった。女将さんは嬉しそうだった。お店の話、子供の頃の私の話。私の友人にいろんなことを話していた。

 今考えれば、妙に丸くなった感じもあった。でも、幼いころから見てきた私が、一人で、車でお店に来て、たくさん友人を連れてきたというのは、きっと嬉しいことだったと思う。それだけでも、いままでもらったことに対する何かお返しになっていればと思う。高いそばなのに一緒について来てくれてありがとう。とても貴重な時間でした。