「西武・内海哲也」の誕生

 ライオンズファンにとって、いやもしかしたらもっと多くの野球ファンにとって、嬉しい嬉しい、たまらないほどに嬉しい勝利だった。

 

 「内海哲也の743日ぶり移籍後初勝利」。「743日」も、「移籍後初勝利」も、それだけで喜ばしいことかもしれない。しかし、この一つの勝利には、この一文を遥かに凌駕するだけの壮大なコンテクストが、そして深い深い喜びが、詰まっているのだ。

 

衝撃の人的保障

 内海哲也は、1982年京都府生まれの左腕投手である。

 強豪・敦賀気比高校在籍時から左腕エースとして鳴らし、「北陸のドクターK」と称された内海は、高卒でのドラフト会議では複数球団の1位指名による競合が確実視されていた。

 しかし、祖父が巨人の投手であった内海は、巨人への入団を熱望。交渉権を得たオリックス・ブルーウェーブからの熱心な説得にも翻意せず、入団を拒否。社会人の東京ガスへと進んだ。

 社会人でも活躍をみせると、2003年のドラフト自由獲得枠で巨人に入団。2006年から2008年までは3年連続の二桁勝利。さらに、2011年には18勝、2012年には15勝を挙げ、2年連続最多勝の偉業を達成。巨人不動の左腕エースとして君臨した。私自身も、野球観戦を始めたのは2010、2011シーズンからであり、憎たらしいほどに強かった当時の巨人のエースとして、抜群のインパクトを記憶に残している。ワインドアップが特徴の投球フォームは独特で風格があり、同じ左腕として憧れの存在でもあった。

 チームでも人格者として知られていた。彼のWikipediaには、彼の人格を示すエピソードであふれている。社会貢献活動も行うなど、成績・人格ともに、まさにチームを引っ張るエースとして相応しい選手であったことは疑いようがない。

 2013年からは成績を落としていたが、その入団経緯、実績、人格。そのすべてからして、生涯巨人であることを疑うものはいなかったし、ゆくゆくは首脳陣に入っていくことを約束されているような存在だった。

 

 しかし、それは突然にして起こった。すべての野球ファンを震撼させた。そんなオフだった。

 2018年オフ、巨人は例年のように大補強を行った。広島から丸佳浩を、西武から炭谷銀仁朗を獲得した。

 ここまでは例年通りだった。しかし、人的保障が発表されたその時、野球界はとんでもないニュースに直面することになったのだった。

 

 広島は長野久義を、そして西武は内海哲也を獲得したのだ。両ベテランはチームの顔であり、成績を落としたとは言っても未だ一線で活躍していた。そしてさらにいれば、両選手ともに、巨人への加入を熱望し、浪人生活を経てまで念願の巨人入団を果たした選手だったからである。

 それまで若手の流出に悩まされていた(一岡・平良・奥村など)巨人にとって、若手をプロテクトしたこの選択はある意味でそれまでの流れに従った妥当なものだったかもしれないが、それにしてもあまりのビッグネームの流出に、賛否両論喧々諤々の議論を呼ぶこととなった。また、補強を行った広島・西武側でも、若手ではなくベテランの補強を行ったことに関しては、様々な意見があったことを記憶している。

 

苦悩と決断

 大きな波紋をもたらし、また大変に注目された内海の西武入団。しかし、その1年目は、内海にとってはあまりに不本意な、さらには、巨人の決断の正しさと表していると捉えられてしまう屈辱のものとなった。

 「一つでも上に」と、巨人でつけていた26に次ぐ27(元炭谷の背番号)を選択した内海。しかし、移籍1年目の2019シーズンは、一歩も動けない停滞のシーズンとなってしまった。開幕前から左前腕の故障に悩まされると、なかなか復帰できず。8月に復帰し二軍戦に登板するも苦戦。自身初の一軍登板なしに終わった。

 

 怪我による不振は、もちろんファンの期待を裏切ったとも言えるが、仕方ないとも言える。しかし、ファンの注目はオフに集まっていた。なぜなら、内海自身がFA権を保持していたからである。内海の去就は、多くの注目を集めた。

 内海の人格は既に述べたとおりであったが、西武ファンの中には疑心暗鬼に陥るものも多くなかった。なかには「内海は西武では全く活躍せずに、巨人に戻るつもりなのだ」と、悪意に満ちた発言をする者までいた。「レンタル移籍」とまで揶揄された。もちろん、FA権自体は選手の権利である。しかし、FA流出の多い西武であること、さらには、かつて巨人から西武に人的保障で移籍してきた脇谷亮太がFAで巨人に戻った例もあることから、それは決して全く可能性のないことでは無く、西武・内海の活躍に期待をかけていたファンはやきもきしていた。

 心配は無用だった。「最初からFAするつもりはない、まだ1勝もしていない西武に報いたい」と語った内海は、FA権を行使せず残留した。「内海哲也」という人間がどういう人格の持ち主なのか、どれだけ信用できるか、チームにとってどれだけ大切か。もう西武ファンはじゅうぶんに理解していた。なにより、チームに貢献したいと復帰を目指すその気概が、そして多くの選手がチームを離れるなかで、ひとりの選手がチームに残ってくれるということが、ただひたすら嬉しかったのだ。

 

復活の息吹

 そして迎えた2020シーズン。内海は徐々に、復活への糸口をつかみ始める。

 昨季は炎上してしまった2軍での登板も、今年は抜群とは言えないものの安定感があった。怪我の不安も解消し、内海哲也が西武の、ブルーのユニフォームを着て、マウンドに帰ってきた。

 目を覆うような先発投手陣の惨状は、内海にチャンスをもたらした。遂に、内海が1軍のマウンドに返り咲いたのだ。8月22日。オリックス戦。京セラドームのマウンドに、遂に「西武・内海」が姿を現した。

 そこには、記憶の中に刻まれている「内海哲也」が、そのまま存在していた。特徴的なワインドアップ。風格のあるフォーム。スリークォーターから投げ込まれる多彩な変化球。直球にはかつてほどの威力はなかったが、緩急でそれをカバーする。熟練の投球術だった。

 結果は伴わなかった。自身の守備の乱れからランナーを溜め、ジョーンズに一発を浴びた。落ち着いて打ち取っていればゲッツーだったミスは悔やまれたが、逆に言えば、それが恐ろしく悔やまれるほどに、良いピッチングだった。ジョーンズひとりにやられた。そんな試合。次のチャンスは約束された。


【パでも輝く】内海哲也『移籍後初登板・初先発』まとめ

 

 歓喜の瞬間

 一度抹消されて、最短の10日で登録。チャンスは回ってきた。9月2日。ロッテ戦。相手投手は先週の登板で涌井相手に快刀乱麻の投球を見せ、涌井の連勝を止めた小島和哉。勢いに乗る若手、難敵を相手に、内海がマウンドへと向かった。

 小島は完全に何かを掴んだような、安定したピッチングだったが、内海は決して負けなかった。カウントが進んでも、慌てることなく、淡々とアウトカウントを積み重ねた。4回までは小島・内海ともにノーヒットの、緊迫した投手戦。それだけでもう、ファンは否応なく「内海哲也の復活」を感じていた。

 内海は5回被安打2、6奪三振2与四死球の解答。75球でいささか早い降板だったが、両足を攣っての投球であったと後で知る。気迫のピッチング。正直に感動した。ルーキー柘植とのバッテリーであったことも、ファンにとっては嬉しい限りだった。大ベテランとルーキーがバッテリーを組んで、相手打線を手玉に取る。これ以上ない喜びである。


これが内海哲也だ!!『変幻自在の投球でパ・リーグ初勝利』《THE FEATURE PLAYER》

 

 打線も内海の快投に応えた。6回表には外崎が見事なセーフティーバントで出塁。さらに盗塁でチャンスを拡大、山川をフォアボールでランナー1,2塁。メヒアの浅いフライの間に外崎がタッチアップを試みると、マーティンの三塁への投球は大きく外れ、外崎は本塁に生還。西武らしい足を絡めた攻撃で、ついに内海に勝利投手の権利が手に入った。

 その後は、手に汗を握るスリリングな展開に。しかし、森脇・宮川といった若手の気迫のピッチングもあり、西武はぎりぎりで、リードを、つまり内海の勝利投手の権利を守り切った。

 守護神・増田の最後の一球。こちらもセ・リーグからパ・リーグにやってきたベテラン、鳥谷敬のバットは空を切った。内海はついに、2年越し、そして西武の選手として初めての勝利を勝ち取ったのだった。

 

 笑顔で辻監督と言葉を交わす内海。この瞬間、「内海の移籍後初勝利」を、実感として感じた。全身で嬉しくてたまらなかった。

 ヒーローインタビュー。私はテレビの前にかじりついて、内海のひとことひとことを漏らさずに聞くことに努めた。

 落ち着いた言葉からは、これまで積み重ねた勝利の経験を感じさせた。それでいて、内海は少し恐縮しているように見えた。

 「去年人的保障で入って、期待されてきたんですけど、なんにも活躍できず、一軍登板もできず、本当につらい思いばっかりしてきたので、ようやく勝てたなという感じです」

 彼の強い責任感が、そこにはにじんでいた。期待に応えられなかった。一軍で投げられなかった。そのすべてが内海自身に焦燥感を与えていたことが、ひしひしと分かった。同時に、人的保障という、ある意味では不本意な形でチームにやってきたにも関わらず、西武に貢献したいという一心で怪我を克服し、一軍のマウンドに帰ってきて、そしてついに白星を挙げた。その並々ならぬ努力に、もの凄い気概に、胸を打たれた。多くの選手から慕われる「人格者内海」が、そこにはいた。

 彼自身は、結果を出すまでは、西武のチームの一員にはなれないという思いが強くあったのだろう。

 「ようやく、ライオンズの一員になれたと思います」

 二軍では若手の指導役としても、存在感を発揮していた。それだけでももう、十分に「ライオンズの一員」なのだ。しかし、彼はそうは思っていなかった。ファンの期待に応えて、一軍の舞台で活躍して初めて「ライオンズの一員になれる」。強い責任感が、そこにはあった。「ライオンズで活躍する」。内海のその意思がこれほどに強かったのだということが、言葉の節々に溢れていた。なんと魅力的な選手なのだろうか。


2020年9月2日 埼玉西武・内海哲也投手ヒーローインタビュー

 

 今、ライオンズは5位に低迷している。しかし、野球は決して勝利だけが蜜の味、というものでもない。

 プレーに、人格に。魅力的な選手が、全身全霊で活躍する。それに、私たちは心を打たれるのだ。もちろん、プロスポーツに勝利は至上命題だ。彼らは勝利に向かってもがくからこそ、強く輝くのだ。内海哲也には、やはりスター性がある。なにか起こすかもしれない。そんな期待がある。ひとつひとつの登板から目が離せない、そんな魅力的な投手だ。

 

 「5回しか投げられなかった」。まだまだ、課題はたくさん残っている。今日は決して立ち上がりが良かったわけではないが、しかしさすがの修正力を見せた。しかし、内海のもつ責任感が、いつかその壁も越えられる力を生む、そう信じている。

 「つらい思いをしてきたので、与えれた試合でベストを尽くして、ようやく貢献できたので、これを何回も続けられるように、頑張りたいです」。

 「西武・内海哲也」は、今日誕生した。まばゆい光を放って、今日誕生した。その投球術も、人格も、覚悟も、そのすべてはかつて「エース」と呼ばれた投手の気概を存分に示し、そしてそれは私たちを否応なく魅了した。

 前回の復帰登板もそうだったが、内海の登板はTwitterでも大いに話題になっていた。そこにはもちろんライオンズファンの熱烈なコメントも多かったが、同じように古巣・巨人ファンの声も多かった。いや、さらに言えば、野球ファン全体から、内海を応援するコメントが届いていた。これほどまでに慕われるのも、それだけの実績を、人格を、背中で示してきたからであろう。

 私は、これからも「西武・内海」を追い続ける。その活躍が一秒でも、一瞬でも、長く続くことを願っている。彼なら、低迷したチームに新風を吹き込んでくれるかもしれない。もっともっと、勝ち星を重ねることができるかもしれない。

 なにより、すべての野球ファンを巻き込むその活躍は、「野球」がもつ本来の魅力を、私たちに教えてくれていると思うのだ。チームの垣根を超える感動は、たしかに届けられるのだ。

 

 「西武・内海」がこれからどんな景色を見せてくれるのだろうか。どんな感動を届けてくれるのだろうか。これからいくつ、白星を重ねていくことができるだろうか。

 その活躍は、一瞬たりとて見逃せない。